本年2月24日付けで、日野町再審開始決定に対する即時抗告棄却決定に対する特別抗告を最高裁が棄却したことが、本日、報じられている(なお、私は日野町再審事件とは何ら関わりがなく、一法曹として関心を持って観察している程度である)。
最高裁決定は、いわゆる三行半に等しいもので(辛うじて、「証拠の新規性及び明白性」を認めたことに誤りはないとの一文がある)、早くも朝日新聞が決定に内容がないことを取り上げたウェブ記事を掲載している。
再審開始決定(今井輝幸裁判長)は本文199頁と詳細を究めるのに比べて、最高裁が三行半か、という批判は、分からなくもないが、それ自体が本質的であるとは思わない。
ただ、日野町再審であれば、当該事件被告人は冤罪で獄中死させられたという、考えるだけでも絶望的、非業の事件であり、そのような冤罪を追認した裁判所には、何故そのような誤判が生じたかについて向き合う必要がある筈だ。
よく言われることだが、一朝、刑事事件に関する不祥事的な事態が起こると、警察、検察がそれぞれ検証を行うことはあるが、裁判所は一切、行わない。幾ら裁判官の独立といっても、誤判原因の究明について、本来、最も真剣に向き合う責任を負っているのは裁判所なのであり、その親玉(親玉という言い方が悪ければ、冤罪製造の最高責任者)である最高裁判所が、何故このような悲劇を招いたかについて、裁判理由中ですら口を噤んだままにするというのは、許容されるべきではないと思う。
例えば日野町再審開始決定では、いわゆる現場引き当たりにおいて、当該事件被告人が投棄された金庫を自力で発見できたという検察官立証に対し、これを犯人性を推認させる間接事実とした確定判決や、自白の根幹部分の信用性を認める根拠となるとした控訴審判決と対峙し、新証拠であるネガフィルムから判明した新事実として、当該事件被告人が行った指示説明を撮影したとされていた写真が、実は現場引き当たり終了後の復路で撮影された写真であることを指摘し、「かかる金庫引当調書は,金庫引当捜査の経過を正確に記録したものとは到底いえず,事実認定を誤らせる危険性が多分にあるものであり,aに現場へ任意に案内させ,その状況を確認し,証拠を保全するという作成目的に照らして,不適切なものであったというほかない。現に,金庫引当調書を見て記憶を喚起させた警察官e2は,その結果,確定審において,実際の引当経過と異なる警察官e2旧供述をしており,その危険性が現実化したものと評価することができる。」と批判している。
実に「控えめ」な批判であり、警察官が偽証したと言わず、不正に作られた引き当たり調書による誤った記憶喚起だという「お情け」とも言うべき判断をしているが、それはともかく、捜査書類による事実の捏造が、人為的な不正により各判決を致命的に誤らせたこと(即ち前記の非業の死は人災である)は極めてはっきりしていると言える。
最高裁判所が、このようにして裁判所を欺し続けた捜査機関に対し、直接的な批判をするかどうかはともかく、それが冤罪原因となったことをきっぱり指摘するくらいのことをしなければ、今後も同じ手口で裁判所を欺す冤罪製造は止まらないだろうにと思う。
つまるところ、今回のような最高裁決定は、冤罪に対する向き合い方に於いて不十分であり、その役割放棄である。
(弁護士 金岡)

















