平間国賠地裁判決の確定を受けて思うことの第2弾。
それは、国は全く反省していない、ということである。
【1】
確定を報じる某紙報道を見て驚かされた。
その内容は次の通りである。
「男性に提訴された後の2024年10月、最高検監察指導部が検事の対応を調査し、『証拠の任意開示を検討しなかった点で配慮が足らなかった』と結論づけたと明らかにした。検事は指導を受けたという。」
2024年9月に国賠を提起したから、その直後に最高検監察指導部とやらが、平間文啓検察官に調査、指導を行っていた、ということになろうか。
驚いたのは、その後の1年半に及ぶ訴訟係属の間、被告から、最高検監察指導部とやらが本件を検討し、一定の(否定的)結論を出し(平間文啓検察官に指導し)たことについて、一言も説明がないままに判決に至っているからである。
少しでも国家の違法加害に反省があるならば、最高検監察指導部とやらが本件を問題視する結論を出したことを、被告から積極的に説明すべきであろう。
一般論として、私人同士の係争案件で、嘘を吐くことは許されないとしても、本当のことを黙っておくこと自体は、当事者対等の建前から、一応、是とされているだろう。しかし、ことは国家賠償の事案、しかも公益の代表者を自称(もはや虚称というべきだが)する検察が当事者の案件である。到底、同一には論じられない。
よくもまあ、そういうことを隠したまま平然と責任を争っていたなと、暗澹とする思いに駆られる。この報道を見て、確定に安堵する気持ちは消え失せた。
虚偽の物語で人を有罪にしようとした責任を問われた国賠において、本件を問題視する内部の結論を隠すという、またしても裁判所を欺す訴訟活動が行われた、というのは本当に笑えない事態である。「膿を出す」という表現はあるが、この一連の事態を見る限り、もう、膿しかない。一面、膿びたしである。残すべき健康な部分が見当たらない完全なる腐敗物、それが国であり、名古屋地検であると痛感した。
上記は、最高検監察指導部とやらの具体的見解が入手できていない現段階(その入手は今後の課題であり、必ず入手しなければならない)では、これ以上に議論を深めることは出来ない。
しかし、「開示を検討しなかった点で配慮が足らなかった」ということは、隠されたLINE履歴が、検察側の当初訴因や論告内容に対し弾劾的に作用する(少なくとも、その)可能性を最高検が認めたと言うことであろう。
【2】
より本質的に深刻な「無反省」は、別にもある。
それは、国が一貫して、一般的な検察官であれば平間文啓検察官と同じことをすると主張し続けていたということである。
周知の通り、検察官の国家賠償責任については職務行為基準説が採用されており、一般的な検察官像を前提とした議論がされることが通例である。
本判決も「当該行為をした検察官の判断が法の予定する一般的な検察官を前提として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なお行き過ぎで、その合理性を肯定することができないという程度に達している」かどうかという規範を定立して検討している。
そのため、検察官の国家賠償責任を問う事案においては、(やらかした当の本人がどういうつもりであったのかはさておいて)一般的な検察官であればどういう対応になっただろうかが主に俎上に上る(一般的な検察官であればどういう対応になっただろうかを、どうやって立証できるのかは、皆目見当も付かないし、言いっぱなし状態の主張を裁判所が有耶無耶に認定するという、異常な展開をたどることが屡々であるが、そのことは本稿の主題ではないので割愛する)。
ということで、今回の平間文啓検察官の加害行為が、一般的な検察官であれば通常、行うようなものではないのか(そうであれば職務行為基準からの逸脱により違法となる)、それとも、一般的な検察官であれば皆、同じような加害行為を行うだろうことになるのかが議論されることになるわけである。
少々、長くなってきたので、今回はここまでとし、次回、国側が“一般的な検察官であれば平間文啓検察官と同じことをする”と主張していたことを具体的に紹介し、その深刻さを評価して、国賠報告を締めくくることとしたい。
(3/3・完に続く)
(弁護士 金岡)

















