本欄2025年12月10日「逆転無罪に上告される」で報告した無罪事件は、検察官上告棄却により確定した。上告趣意書提出から概ね3か月の「三下り半」決定であるから、瞬殺の類いと言って良かろう。なお、その上告趣意書の酷さは、本欄2026年5月1日にて少しく言及した。

事案の概要は前記2025年12月10日記事を御覧頂きたいが、深夜、一定の明るさはあるが繁華街であると言うほどではない地域での傷害事件について、偶然に居合わせた目撃証人の証言の信用性評価を逆転させた本件には、それなりに引き出せる教訓がある。
そこで3回に分けて、要点解説を行いたい。

今回は、夜間の視認状況を如何に争ったかである。

1.冒頭記事にて説明したとおり、本件では夜間の視認状況が問題となる。これは「例え中立公正な目撃者であっても、その証明力が不十分」という問題提起を行えるし、あるいは「視認状況が良好でない以上、詳細な目撃内容は却って不自然不合理」という問題提起にも繋がるから、無理のないケースセオリー構築に有意な間接事実である。
しかし、第1審弁護人の弁論には、このような問題提起がなく、原判決も、後述の通りデジカメ補正により極端に明るく撮影された「甲12」の明るさを追認した目撃証言を疑問もなく受け入れてしまっている。同じ時間、同じ場所の写真の明るさが違うことに疑問を抱かなかった、及び、夜間であるのに妙に明るい写真が撮影されたことに疑問を抱かなかった原審関係者は、裁判所を含め証拠の慎重な読み方が身についていないと言わねばならず、全員、要反省である。

2.さて、「甲12」と「甲7」から生じる前記のような問題性を踏まえると当然であるが、控訴審では初手から、事件直後の実況見分で撮影された全写真データの開示を求めた。しかし検察は抵抗し、全写真のカラー印刷までは出してきたが、写真データの開示は相当に渋られた。
その間に、弁護人側では現地調査(事件から、ぴったり2年後の同じ場所・同じ時間)を実施した。
というのも、「甲12」や「甲7」は明るすぎると思われたので、デジカメ補正のされた写真だろうというのは察しが付いた。しからば、補正のない写真、肉眼の感じ方に近似する補正値の写真を撮影し、補正の有無程度を比較対照していくことが客観的な説得力を持つし、ひいては、裁判所の理解を得て、証拠隠しを試みる検察官を追い詰めていけるだろうと考えたからである。
仮に、抽象的、評価的に、「現場は24時に近く、薄暗かったはずで、視認状況は不良である」と述べても、その「薄暗い」という言葉は、人によって受け止め方に差が生じる。「薄暗くても甲7程度には見えたのではないか」と認定されるかもしれない。主観的な表現では、外部検証性を欠き、説得力に乏しい。それよりは、「肉眼に近いのはデジカメ補正××程度であり、これに対し甲12は過剰な補正が行われている」「甲12の補正値と同じ写真を撮ると、こうなる」というような、客観的に比較検証可能な手法を用いれば、裁判所の「逃げ」を許さない議論ができる。
幸いデジカメに詳しい弁護人を補助者として(控訴審で証人採用された)、ISO感度を、100、200、320、400、500、・・・1600というように、設定を変えつつ夜間見通しの写真を撮影し、肉眼に近似するのは、ISO感度は500くらいかなと思われた(これはあくまで今回の場合と言うだけで、デジタル補正と肉眼の相違に関する一般論とはならない)。

3.上記のような流れの中で、裁判所も、検察官に対し写真データの開示を促し、控訴審での証拠開示が実現した。
蓋を開けると、捜査機関が事件直後の実況見分で撮影した写真は、ISO1600のものとISO1000のものが混在しており、事実認定の基礎となった「甲12」も、それと同じ時間に撮影された相対的に暗めの「甲7」も、ISO感度は「1600」であった。なお、甲7はフラッシュあり、甲12はフラッシュなしで、フラッシュありの方が、照射された部分以外が相対的に暗く見える、ということのようである。
上記ISO1600もの補正について、検察側は、作為的に大きな補正をしたのではなく、デジカメのオートモードで撮影したらこうなっただけだ、と反論したが、別に作為性はどちらでも良い。大事なことは、今回、肉眼に近似するのがISO感度は500くらいだとすると、「1600」の補正写真は、明るさが過剰に強調されている、ということだからである。

参考までに、(「甲12」や「甲7」を本欄で公開することは、証拠の目的外使用との関係で、差し控えることとするが、)ISO感度500と1600とでは、次のような差がある(弁号証より)。ぱっと見でも相当に違うし、ISO1600となれば路面のタイル模様まで視認できる程、違いがある。

ISO500

ISO1600

結果、控訴審判決は、「甲12」や「甲7」は、オートモードで「きれいに写るよう自動的に設定された条件で撮影された」疑いがあり、弁護側の実験も踏まえて、現場の明るさは判然としないと認定した。
正に狙い通りの、客観性のある裁判が行われたと言える。

4.ところで、深夜の現地調査で実感したのは、薄暗いところでの人間の視覚である。
それなりには見えるので、意識的に見ようとすれば、見ようとした部分はそれなりに見える。足を振り上げると分かって集中すれば、それは見える。
しかし、「目を凝らした」部分の周辺は、昼間と異なり、ぼやけてしまう。
この体感は貴重であり、本件目撃者も、物音に気付いて自転車の方を見やったとき、いきなり依頼者の足の動きに注目するはずもないから、依頼者の足の動きは、ぼやけていたのではないかと疑われた。
このことは、前記視認状況の議論と相まって、体の向きや大きな動きなどの限度では見えていただろうが、それ以上の細部は見えていなかったのではないかというケースセオリーに結実し、この点も、控訴審判決の、依頼者が自転車側に向いて、その足が自転車前輪にあたると同時に、その手が女性の体に当たった限度で信用できるに止まる、との判断に繋がった。

5.全写真データの開示を求め、補正を確認する。
現地調査を行い、補正値をめぐる検証実験を行う。
何れも、特に高度なものではなく、基本的な着想、活動である。
そして、ISO感度を巡る検証実験から、視認状況が過剰に補正された危険を客観的に論証できたことが、視認状況立証の弾劾、ひいては目撃証言の弾劾に繋がった。
デジタルカメラ全盛の御時世、(自動的に)補正される写真の明るさに注意し、プロパティ情報を参照することで判明する撮影条件に留意するという、一つの知見である。

(2/3に続く)