本欄では、偶然に居合わせたという意味では中立公正な目撃者の証言の危険性について取り上げ、本件を総括する。
1.控訴審判決は、特に目撃者B証言について、目撃状況に誇張が生じている可能性が否定できない、と明示的に述べた。目撃者A証言についても、その詳細に亘る部分は採用していないから、一定、実際には目撃していないことまで証言しているとの評価を与えたものに相違ない。
第1審判決は目撃者ABに対し、虚偽供述動機はないとの肯定的評価を与えたが、では控訴審判決が虚偽供述動機を認定したかというと、そうではない。控訴審判決が、これこれこういう理由により目撃者Bに目撃内容を誇張する動機がある、と述べたわけでもない。
実際、虚偽供述動機という括りで言うなら、そういうものが明確に認定されないまま、信用性が排斥される証言というものは多々ある。思うに、虚偽供述動機は、あったとしても通常確認が困難であるから、「ない」のか「見つかっていないだけ」なのか、区別は困難であり、虚偽供述動機が特に認定出来ないことは証明力を高めない(認定出来れば証明力は減殺される限度で扱う)ことを原則とすべきだろう。
2.以上、今回の名古屋高判を概観し、弁護活動の要点を説明してきた。
まとめると次のような教訓が引き出せよう。
(1)夜間の目撃見通しが問題となる事案においては、とりわけ全写真データの開示に拘る必要性が高い。捜査側の写真は、悪意があるかどうかは格別、自動できれいに写す補正がされていることが寧ろ通常である(殆ど真っ黒の写真では証拠に使えないからである)から、常に証明力には疑問符が付く。
(2)夜間の人の視覚は、想像以上に、一筋縄ではいかない「性能」をしている。現場百辺とは良く言ったもので、必ず現場に臨み、どのような陥穽があるかを実体験し、それをどのように立証するか(人によって相当に異なり得るので、「自分にはこう見えた」的な立証はどちらにしても証明力が低い)工夫を凝らす必要がある。
(3)一見すると中立の証人が、何故、正しくないことを証言するのか。そこには様々なケースセオリーがあり得、弁護人の引き出しの広さがものを言う。
(4)これを助けるのは、やはり証拠開示である。今回の第1審でも、AB2名が女性Cの事実に反する(後に目撃していないとC証言から自認された)再現に立ち会い、影響を受けていた捜査経過が、捜査記録において伏せられ、証拠開示からも省かれるという証拠隠しがあった。検察官が不正をなす存在だと、頭では分かっていても、出てこないものを「隠している」と看破するのは困難である。機械的網羅的な(例えば全写真データ)開示請求こそ正義である。
(5)裁判所はしばしば、虚偽供述動機を発見できていないだけかもしれないのに、虚偽供述動機がないから信用性が高まるという粗雑な論理を振り回す。先回りして、その誤りを糺す必要がある。虚偽供述動機を認定しないまま信用性を否定する判決は数多あるが、本件もまた、何故、ABが良く見てもいないものを誇張して説明したのか解明しておらず、これに連なるものとしての意義を持つ。
(3/3・完)
(弁護士 金岡)

















