少し前から「刑事弁護倫理的な」実践的話題を取り上げたいと考えていた。
「刑事弁護倫理的な」と銘打ったのは、純粋に弁倫の問題というよりは、困難な刑事弁護課題に直面した時に芯の通った対応の出来る基盤を確立するため、有事に備えて検討しておくことが有益な実務上の諸問題を取り上げたいと考えたからだ。「哲学」というと大風呂敷だが、性質的にはそちらに近い。

一体、弁護士業が精神的に高負荷の職業であることは論を待たないと思うが、そして、どの領域にもどの領域なりの苦労があるとはいえ、刑事弁護が相対的にみて精神的に高負荷であることも論を待たないと思われる。
18年以上、刑事弁護に明け暮れ、滅多なことでは動じないし舵取りを間違えない自信があっても、応用問題的に初めて直面する事態というのは幾多もある。ましてや、経験を積まないうちにそういった問題に直面した場合には、悩むなという方が無理だろう。その結果、刑弁離れを起こすくらいならまだしも、対応を誤って懲戒問題に発展したり、精神を病んでしまうような事態は何としても防がなければならない。

考えてみれば、刑事弁護人は、諸方面と対立せざるを得ない宿命である。
裁判官に公正さが期待できないとして忌避に踏み切ることも、改めて考えてみれば重大な決断を要する(のかも知れない)。取調べ担当検察官の説明が信用できないとして反対尋問を要求するというのも、最終的に検察官を嘘つき呼ばわりするのだから結構なものかもしれない。
警察官、拘置所職員と、文字通り一触即発の事態に陥ることも、きちんとした弁護を志す限り、避けがたい(やらない、若しくは、なぁなぁの馴れ合いに陥らない限り、取調べ出頭への同行や、電子機器持ち込み問題で揉めないはずはない)。
被害者側との対立はいうに及ばない。一体化した代理人弁護士からの攻撃(口撃)も時に懲戒請求を考えなければならないほどのものがある(弁護士から「そういう主張」を公判廷で主張するなら弁護人も相応の覚悟しておけという警告を受けたこともある)。
マスコミや「世間」なるものも、当然、喧しい。
更に考えておかなければならないのは、依頼者からの攻撃である。残念ながら一定数、依頼者に付けいる隙を与え、徐々に力関係が逆転していき、最終的に懲戒相当の行為にまで陥る弁護人をみかける。
決して「無難」を志せというのではない。「熱心弁護」という言葉を使うかどうかはさておいて、徹底した弁護活動は当然である。しかし、そのためにも、限界線を見きわめ、常日頃から、一本、芯の通った考え方が出来るようにしておく必要があろう。

と、前置きが長くなったが、このような観点から実務的な諸問題を取り上げてみようという企画を温めていた。今後、本欄で随時、掲載していく予定である。

なお、丁度昨年末、ジュリストの連載をまとめた「新時代の弁護士倫理」が発刊された(有斐閣)。刑事弁護に割かれているのはせいぜい1割、30頁程度のもので、論点的にもお馴染みのものばかりではあるが、菅野弁護士が割り切った観点から明快に説明を加えられている内容は現代的に範とすべきものが多い。分量的にもすぐに読めるので、刑事弁護を始めたばかりの方も十年選手、二十年選手も、必読と思われた。

(弁護士 金岡)