福岡「ママ友」裁判関連の報道を読んでいて、次の一文が目を引いた。
「冨田敦史裁判長は、6月のI被告の判決言い渡しでは「裁判員からの伝言」として「これからの日を強く生きてほしい」と伝えたが、A被告に対しては控訴手続きの説明をしただけで、説諭はなかった。」

刑事弁護人なら誰しも一度は問題に思うだろう、同じ裁判官が主張の異なる共犯者の裁判を何れも担当することの当否である(てっきり本欄の過去記事にもあると思ったら、検索した範囲ではないようにも思われ、もしそうだとしたらかなり意外である)。
この裁判でいえば、I被告人の主張を全面的に採用し、説諭で励ましまでした裁判官(少なくとも裁判長は同じようだ)が、A被告人に対し、「白紙の心証で公正に裁判します」と約束する、ということであるが、A被告人からすれば「なんとかも休み休み言え」という話であろう。

この問題は、裁判所側では決着済みである(最三小1953年10月6日判決等)。
前掲最判に曰く、「第一審の裁判官が前記共犯者等の公判審理により被告人に対する本件事件の内容に関し知識を得たからとて、そのこと自体は裁判官を被告人に対する本件事件審判の職務の執行から除斥するものでないこと刑訴二〇条各号の規定により明らかであると共に、第一審の裁判官が事前に事件の知識を有した一事をもつて不公平な裁判をする虞があつたものと速断することはできず従つてその一事をもつて忌避の理由があつたものとすることもできない」というのである。
法曹実務家は、このような判例を知ってしまっているので、不快に思いながらも声を上げることを諦めてしまっているのが現実なのではなかろうかと思う。
あるいは、(特に裁判所側は)理屈の上では、例えばI被告人を支持する決定的証拠が(なぜか)A被告人の公判で採用されなければA被告人の法廷でI被告人を支持しないという論理操作は職業裁判官ならお茶の子さいさいだと本気で信じ込んでいるのかもしれない。

しかし、証拠関係の違いがどうであれ、I被告人の法廷でI被告人を支持する結論を出した裁判官が、A被告人の法廷で新たな証拠(例えばI被告人の法廷では黙秘したA被告人による法廷供述)に接したところで、おいそれと結論を変えるはずはない。それはもう、人間心理から火を見るより明らかであり、仮に少しどうかなと思うところがあっても一度I被告人を支持したからにはそちらに寄って行くだろうことは想像に難くない。
また、少なくとも外見的な公平性で見た時、既にI被告人を表明した裁判官に今度はA被告人を支持すると期待する方が無理というものだ。
そうすると、同じ裁判官が主張の異なる共犯者の裁判を何れも担当することは、裁判所お得意の公平らしさ論からも、公平さの観点からも、当然、否定されるべきである。煎じ詰めれば、ぎりぎりのぎりぎりの判断を迫られた時に、先行する有罪判決に引きずられる潜在的可能性を秘めていると言うだけで失格と判断すべきである。

私がまだ弁護士数年もいかないころ、強盗致傷事件の共犯者証言の信用性が争点となった事案で、既に同共犯者の「自白事件」で有罪判決を書いていた裁判長に対し、回避を迫ったことがある。
もう退官されているだろうが、沼里裁判長は往時、回避を拒む理由として、「弁護人の言わんとするところは分かるが、名古屋地裁のように複数の裁判体が組めるところでは回避して他の裁判体で対応できるとしても、小さな支部ではそのような対応が出来ず、却って不公平になる」という、分からず屋なことを仰ったことを、よく記憶している。
それに対して「不公平を是正するように体制を整えるのが裁判所の仕事であり、体制不備だからダメな方に合わせるとは何事だ」と反論したが、勿論、結論は変わらなかった(ついでにいえば、こちら側の主張は退けられた。沼里裁判長の説明の余りの不合理さが印象的だったためか、未だに共犯者と被告人の名前まで正確に記憶している始末である。)。
その後も何度か、試みているが、変化の兆しはない。ちなみに、検察官が(なぜか)共犯者をばらして起訴すると、(名古屋地裁のように複数の裁判体がある場合は)別々の裁判体に配点されるので、この問題は生じない。

話を戻すと、冒頭の記事は、裁判員裁判であるから、おそらく、3名の裁判官は共通で裁判員6名は違う顔ぶれである。もともと対等な評議が成り立つのか疑問視されている制度であるが、既にI被告人の公判を担当してI被告人支持の結論を出している裁判官3名を前に、まともな評議が成り立つなどとは考えられないだろう(裁判官3名が、もっともらしくI被告人の証言の信用性を議論しているところを想像すると滑稽ですらある)。福岡地裁は少なくとも合議体を4つ組めるようであるが、誰か何とかしようとは思わなかったのか。

裁判員裁判導入を機に、このような茶番は止めて、文字通り白紙の心証の裁判官を構成に入れることになるのではないかと期待していたが、全くそうはなっていないということで、がっかりである。市民感覚なるものを取り入れるなら、「けど裁判官、もうI被告人支持の判決を書いちゃっているんですよね」という質問を誰かしてみて欲しかったと思う。

(弁護士 金岡)