大阪弁護士会が法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会第10回会議において示された試案における「司法面接」部分に対し反対する会長声明を公表している(本年1月11日付け)。これを読み、一通り法制審の議論を追いかけてみた。

会長声明が批判している司法面接試案は、一定の要件の下に、司法面接録画に主尋問としての証拠能力を認めるというものである。つまり要件を満たすと、弁護人に於いて不同意による証拠排除はできなくなる。
但し、採用後の、当該被聴取者に対する反対尋問は可能である。法制審の議論では反対尋問権まで否定する案が併記されていたが、これは落とされた(尤も、反対尋問権に適切な理解があれば、反対尋問権を否定する方の案は「ドアインザフェイス」の如き譲歩を迫る策謀まがいにしか映らないが)。

会長声明では、同試案に対し、❶対象事件や対象者が限定されていないこと(未就学児に対する性犯罪に限定するようなものではなく、窃盗事件の成人男性にも適用可能な建付になっていること)、❷伝聞例外のために必要な「措置」が凡そ科学性を欠いた抽象的なものに過ぎないことを指摘して、その改善を求めると共に、❸司法面接までの供述汚染を防止したり或いはこれを検証する措置を要求している。

興味深いことに、裁判官である中川委員が、第11回会議で、上記と同趣旨を含む批判的な意見を述べている。第11回議事録20頁以下であるが、❶対象事件、対象者について広すぎて議論経過にそぐわないのではないかという指摘、❷について「信用性の高い供述が確保される情況」という相当性の具体的規定がない、という指摘である。
更に中川委員は、証拠能力だけ認められても、反対尋問で「忘れた」が連発されたような場合、司法面接録画の信用性評価に窮する場面も出てくることが懸念されており、証拠能力拡大路線が裁判の現場に沿わない趣旨ととれる指摘もされている。

勿論、刑事弁護の立場から参加されている弁護士委員(宮田)、幹事(金杉)からも、強く批判されており、特に宮田意見では、前記❸に関して、「記憶が汚染されてしまっているものについて、信用性の情況的保障があると本当に言えるのか・・・汚染が起きていたのか、起きていなかったのかについて調べるのが先なのではないでしょうか」という極めて分かりやすい指摘をされている(第5回13頁)。おそらく、このような問題意識が店晒しになってしまった経過を踏まえてであろうが、第11回24頁では「司法面接についての詳細が全く語られないままのこの案は、非常にむなしい・・証拠法だけを先行させることで、かえって、問題を大きくする」と発言されているほどであり、通読して最も共感できる部分であった。

詳細は原典に当たられたいが、私なりに要約すると、なぜ司法面接録画に証拠能力を付与するべきかについて、(ア)被害者の負担緩和、(イ)年少児童などは法廷では上手く供述できない、(ウ)供述汚染は聴取者や聴取情況の視聴で対処できる、という3つの理由が混在して語られており、基本、法制審では「言いっ放し」の「店晒し」に終始しているため、およそ、芯の通った原理に基づく議論が成立していないところに問題がある。

アは、政策的な議論に過ぎず、憲法に基づく反対尋問権を制約する理由にはならない。冤罪を訴える側からすれば、自称被害者の負担が大きかろうと小さかろうとどうでもいいことであり、「自称被害者の負担を考慮して冤罪の危険を拡大させる」刑事政策を承認しない限り、採り得ない議論である。冤罪の危険を拡大させることを承認しないなら、司法面接録画の証拠能力は、弁護人に絶対的な判断権限を付与しなければならない筈である。

イについては、年少児童などは法廷では上手く供述できない、つまり、真実発見のためには法廷における尋問よりも優れた(司法面接という)装置がある、という議論であるが、そこに科学的な証明、根拠は見出せない(法制審の議論を読む限り、そうである)。
要するに、「あちら側」では、自称被害者が法廷外でこそ真実を供述していると「思い込んでいる」に過ぎない危険があるのであり、そこについて実証的な議論もせずに、どちらがより優れた装置かを議論しても結論は出ないだろう。結論が出ないなら、その他の事件と同様、法廷での直接審問、反対尋問という装置に、悪い方向に間違わない真実発見機能を託すというのが歴史的な結論である。

ウについて、そのような主張は、いかに「証拠」が加工されていくかを知らない戯言であるとしか思われない。弁護士委員からは、仮に司法面接録画に主尋問としての証拠能力を認めるのであれば、水も漏らさぬ司法面接までの過程の開示を求めるが、理屈としては正当であるとしても、現実には不可能であるから、実現すべくもなく、結局は無理な話である(非現実の条件を不可避とする時点で非現実の制度である)というだけのことだと考える。

以上から、大阪弁護士会の会長声明は、(かなり「ぬるい」のは残念だが)適正手続に則った刑事裁判を監視すべき弁護士集団が上げるべき声としては取り敢えず評価できる、という結論であり、もとより、かかる試案はゴミ箱行きが相当である。

あと、金杉幹事が第11回27頁で「供述調書も作成せず、聴取回数も1回に限り、証人尋問請求も反対尋問以外に行わず、証人テストも行わない」覚悟があるのかと(売り言葉に買い言葉であるが)発言されているが、試案の想定だと、
・要件を満たした司法面接録画は取り調べる
・その後、反対尋問を行う
という流れであり、事件から間もない時期に採取された司法面接録画供述に対し、弁護人が例えばその後に判明した通話履歴や学校の記録から弾劾をしおおせた場合、検察官は当然、再主尋問を行うことになるのだろうが、そうなると、(ウの汚染を論じるまでもなく客観的に誤りを含むことが判明した司法面接録画について、更に)アの被害者負担の軽減そこのけで再主尋問以降の流れに突入し、それがイのごとく真実発見の方法としては宜しくないとなれば、一体、そのような再主尋問以降はどのように正当化するのか、ということになるし、再主尋問以降を正当化するなら、そうやって法廷における直接審問、反対尋問で適正な裁判が行える(と検察官が主張して再主尋問をやっている)のに、どうして無理矢理に司法面接録画の証拠能力を認めなければならなかったのか(一から主尋問をやればよい)、という最初の議論に戻ってしまう。

ともあれ、一部を除く相当数の出席者が、刑事裁判、弾劾による抑制的な真実発見構造を御存知ないのではないか、と疑わざるを得ない、陳腐な議論であった。

(弁護士 金岡)