読み応えがあると新人賞受賞者の1名が仰っていたので、そのまま拝借した。
季刊刑事弁護113号は、新人賞の発表に加え、「犯情から争う依存症弁護」の特集、更に被疑者調べ立会の特集、更に、被疑者調べ立会を巡って唾棄すべき名古屋高判(上告中)の当事者弁護士による解説及び研究者評、最高裁界隈で係争されている事案の解説等々と、確かに盛り沢山である。拾い読みする程度でも面白かろう。

寄稿した「犯情から争う依存症弁護」の特集については、軸足の置き方次第では、その任にあらずと辞退すべきであったかも知れないのだが、広く浅く、最近では普及しつつある問題意識をどのように捜査公判で消化し、昇華していくかということを弁護技術論の立場から整理してみた。慣れていないと後の祭りという部分や、ML等で頻出の質問も意識してみたので、御一読頂ければ幸いである。

誤解を恐れずいえば、隣接諸科学を法廷に持ち込むという点において、読むべきはやはり村松論文、松本論文であろう(当事者インタビューも捨て置けない・・かつて、更生に資する刑事弁護本を作ろうということで同じ企画をしたが、主に私のせいで立ち消えになったことを思い出す・・)。
村松論文は、「きょろきょろ周囲を窺っているから衝動に駆られた窃盗ではない」という非科学的な信じがたい高裁判決があることを指摘し、その類いの非科学的な、刑事法廷にありがちな無理解について一つ一つ、答えを明示されている。松本論文も、科学の視座から議論を積み上げている。
科学と、(偏見じみた)裁判所的経験則とで、どちらがより正しそうだといえるかと言われれば、無論、科学であろう。勿論、A型とB型を混ぜるとAB型になる類いの妄言を吐く似非科学者もいるだろうし、歴史が誤りを証明する科学技術もあろうが、事後検証に晒され、更なる科学的議論の中で糺されていく可能性が残るだけましである。これに対し、裁判所がしばしば振り回す(偏見じみた)経験則は、検証のしようもなく、言いっ放しであり、歴史に糺される期待もない。科学的根拠もなく「十分考えられる」「ありそうもない」等と宣う判決には、しばしば「妄想的」と批判したくなる誘惑に駆られる(事案を選び慎重にであるが、実際にそう書くこともある)。

折しも今日、受けた判決では、14年間、薬物を使用しなかったのだから、病理的な報酬体系があったという弁護人の主張には疑問が残る、などとされていた(うち10年間は刑務所にいたのだが)。結論の是非はさておいて、せめて科学的な審理をしてからそういう判断をして欲しいものだ。たかだか、(良くても、せいぜい)法律しか知らない法律家が、そう決め付けること自体が非科学的である。無知の知の弁えを求めるだけでも至難である。

(弁護士 金岡)