(はじめに)
大川原化工機国賠判決が、起訴の違法性に加え、逮捕の違法性も認めた、と報じられている。どちらもかなり稀な出来事であるが、逮捕の違法性というところには関心をそそられる。なにせ、裁判所が令状を出してのことであるから、どのような論理でその結論を導いたのか(・・悲観的に見れば、「どうせ」請求や執行は違法だけど、発付の違法は等閑視しているのだろうなぁとは想像した)、興味を持つのは当然である。

そういうことで判決を読みたいものだと思っていたら、「CALL4」に全部あるよと教わったので、早速読んでみた。
以下は、判決文を精読・・・というより、拾い読みした雑感である。

(裁判所の責任を追及したか?)
出だし5頁、「警察官による逮捕及び取調べ、並びに検察官による勾留請求及び公訴提起に違法があったなどと主張して」とある。
裁判所の違法は主張されていないのか・・というところが先ず、残念である。
果たして令状裁判官は、どういう資料に基づき、嫌疑の相当性を認定したのか、それ自体も問うて良いのではないか。少なくとも捜査段階の勾留において、冤罪であることが主張されていたのであれば(但しこれは推測であり、掲載資料に準抗告申立書はなかったし、捜査機関の見解が押しつけられたような取調メモもあったこと、判決75頁によれば担当検察官は自白事件と認識していたとの記載もあったことから、捜査段階ではそのような展開はなかったのかも知れない)、にもかかわらず嫌疑の相当性を認定した令状裁判官の責任を問うていくべきではなかったか。

(取調べの違法性について)
判決42頁から、争点(6)として取調べの違法に関する主張整理がある。取調開始前に既に調書ができあがっており(非常に良くあることである。黙秘していてもできあがった調書案が登場するので、最早、嗤うしか無い。)、読み聞けも不適切、加除訂正にも応じなかった等という主張である。

しかしこれらは、全て排斥されている。予め用意しておくことが社会通念上、不相当とは言えない、加除訂正の要否を検討するためにペンを貸与しなかったことも不相当とは言えない・・等々である。

唯一、法解釈を誤らせた上で自白を得ており、偽計による自白を得た違法が認定されているところが目を惹く程度である(96頁以下)。

(逮捕勾留の違法性について)
逮捕の違法性は、判決82頁から検討されている。
要するに、通常要求される捜査を行えば、規制対象ではないことが判明するだけの証拠が入手されたといえるから、それをせず、漫然と逮捕したことは違法だというもので、理屈としては目新しいものではない。
勾留、起訴に関しても、同じ理屈で違法が認定されている。

こういう理屈の立て方だと、裁判所は「騙されただけ」だからお咎め無しになる。

(保釈されないまま死去した被害者の慰謝料について)
判決書53頁の原告らの主張によれば、保釈されないままに死去したことを正面から精神的苦痛に計上した、のではなく、検察官が保釈に反対して保釈が棄却された状態で・・、という言い回しが用いられている。裁判所に対する責任追及とせず、警察・検察に対する責任追及に限定した限界であろうか。
判決では、更に悪く、保釈問題は消え失せ、「違法な本件逮捕及び勾留請求により」という言葉で括られている。保釈を出さなかった裁判官の責任は(訴求されていないので無理からぬこととは言え)同業者の庇い立てにより損害論からも消え失せたようである。

季刊刑事弁護116号91頁以下の趙誠峰弁護士の論文では、保釈が早期に認められていれば命を落とすこともなかったのではないかという指摘、それが「すべては裁判官に責任がある」とまとめられており、流石にこの段階において裁判所の責任を不問に付すことには無理があろうと思っていただけに、判決からも保釈不許可問題が消し去られたことは残念というより、恥ずべきことと思う。

(損害論)
判決102頁で、刑事弁護費用全額が損害として認められている。
その額は・・まあここでは書かないでおくが、余裕で四桁万円であり、(判決批評とは無関係であるが後学までに)算定方法は知りたいと思うところである。

(弁護士 金岡)