朝日新聞デジタルに、岡口罷免事件のインタビュー記事が掲載された。
有料記事であるが、以下にURLを貼り付けておく。
https://www.asahi.com/articles/ASS521J5MS52UPQJ004M.html?iref=comtop_7_06

この問題の専門家を気取るつもりは毛頭無いが、前回本欄で取り上げた時(本欄本年4月11日)には「規範も大概であるが」と、「著しい」「非行」要件について定立された規範自体への検討を先送りしたところもあり、発言の機会を頂けたのはもっけの幸いと言うところである。

今回の記事を要約すると、
第一に、「非行」要件がふわっとし過ぎていること。
第二に、「著しい」の絞りが無いに等しいこと。
第三に、萎縮効果。
この辺を強調した。

「非行」要件即ち「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」について、どうとでも当て嵌めが可能なことは指摘するまでもないだろう。現に、結果的に遺族を傷つけたのだから品位を害すると結論付けられている。判決で「被害者の証言は虚偽である疑いがあると言わざるを得ない」と書いた途端、被害者を傷つけた、品位を害した!という難癖を付けることも出来るだろう。これは勿論難癖だが、そういう使い方すら出来る規範だと言うことが問題なのである。

「著しい」要件は、「国民の信託に背反したか」基準が持ち出されたわけだが、「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」である(つまり「非行」には該当する)のに「国民の信託に背反した」とは言えない領域はどこにあるのだろうか。そんな領域は通常想定できないから、この二つの要件は実質同義である。
故に、「著しい」要件により罷免の範囲を限定する必要があると言いつつ、児戯に等しい言葉遊びで何ら範囲限定が出来ていないのが今回の判決である。

このような要件論から必然的に、萎縮効果は大きいだろう。
公私を問わず、結果責任で「誰かしらを傷つけたから品位を害した」即ち「信託に背反した」という方程式が成立するとなると、危なっかしくて発言できない。
例えば現職裁判官が法律や裁判例を解説する動画に登場するのは有益だと思うが、面白おかしい表現を用いたり、毒のある表現を用いるだけで身に危険が及ぶなら(お通夜のような動画を見せられても面白くないのだから、表現方法の性質上、面白おかしさや毒も必要である)、誰もそのような割に合わない活動には加わるまい。とある現職裁判官がブログで「この程度の高裁部総括の民事部があることが誠に嘆かわしい」「(最高裁)事務総局は・・無能極まりない」等と強い調子で論を展開しているものはあるが、これはまあ、幾つかの点で例外に属しているから参考に出来ない。
現代においては、価値観が多様化し、何か言えば(完全な部外者からでも)強い反発が寄せられることは普通にある。そのような時代において私生活まで結果責任で縛る判決が登場したことは、実に時代錯誤であり、憲法の精神にそぐわない。

とまあ、こういうようなことを追加で話させて頂いた。
興味がある向きは御覧頂けると幸いである。

(弁護士 金岡)