安保問題関連報道を見ていて、野党が数日に亘りフィリバスターを展開すれば余裕で会期末を迎えるのでは、と疑問に思っていた。抗議すべき内容があるときに5時間や6時間、話し続けるくらい、難しいことではない。まして、陳述者を交代しながらやれば、5日や6日だって難しくない、と思ったからである。

その疑問は、問責理由の陳述を与党の多数決で10分に制限した、という報道を見て解消したのであるが、と同時に唖然とした。少数の意見を十分に検討した上で多数の結論が採用されてこそ、結論の正当性が担保されるという民主主義の基本に照らすと、多数が少数の意見をそもそも封じて結論を出すという方法が誤りである(横浜公聴会の水上弁護士が、民主主義ではなく多数決主義と喝破された由だが、まさにそのとおりである)ことは小学生でも分かりそうなことなのだが。かのヴォルテールが「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と述べたとされる逸話は有名である(本当に述べたのかは疑問があるらしいが、この言葉の含意するところの価値が損なわれるものではない)が、口を封じておいて従え、は、強い側がやって良いことではないのである。

話は飛ぶが、刑訴法295条には次のような規定がある。

「裁判長は、訴訟関係人のする尋問又は陳述が既にした尋問若しくは陳述と重複するとき、又は事件に関係のない事項にわたるときその他相当でないときは、訴訟関係人の本質的な権利を害しない限り、これを制限することができる。」

もし、無罪主張の機会を10分しか与えません、とした上、反論を尽くさせずして有罪判決を下そうものなら、例え内容が正しかろうとも手続的正当性は皆無である。私が法廷で異議を述べている最中に意見陳述を妨害しようと試みた裁判長は一人や二人ではないが、その妨害に対しては上記規定を以て更に対抗したものだ。圧倒的弱者である刑事被告人を実体・手続の双方で正しく裁くには、このように守られていてこそなのである。

翻って冒頭の問題は、それ故、度し難い内容である。たかだか金メダリストやお笑い芸人と言った知名度だけで選挙に勝てる程度のこの国の(なお、私は、金メダリストがその専門分野に置いて言いしれない努力をされていることを軽んじるものでも、お笑い芸人が神経をすり減らして事前に準備していることを軽んじるものでもない。ただ、政治家として多数票を獲得するような要素ではないと言いたいだけである。)国会議員が、「選良」である筈がないと分かっていても、がっかりする話である。

(弁護士 金岡)