表題を「裁判官、弁護人を“煽動”呼ばわりする」にするかで、悩んだ。

腰縄手錠問題に取り組んでいる弁護士の事例報告から紹介する。

弁護人は、各公判期日で腰縄手錠の申入れに取り合われなかったため、三度目は趣向を変えて傍聴人への呼びかけを実施する可能性を予め裁判所に予告。
すると名古屋地裁(蛯原意裁判官、単独)は、法廷外に職員2名を配置し、弁護人が法廷外で傍聴人に話しかけようとするのを割り込んで阻止させ(弁護人が抗議すると、施設管理権と法廷警察権の双方が根拠として挙げられ、開廷前の廊下での出来事であったことも相まって、所長の判断にも基づくことが示唆された)、傍聴人にさっさと傍聴席に進むよう「案内」まで行ったという。そして上記職員らは、閉廷まで待機し、退廷後の傍聴人への働きかけを阻止する気勢を示していた。

更に、弁護人が入廷後、諦めず傍聴人に呼びかけようとした際、蛯原裁判官は「煽動」とまで論難して、これを制止し、命令によりこれを禁じたとのことである。

まず思うのは、弁護人が傍聴人に話しかけることに何の問題があるのかと言うことである。それを阻止する法的根拠があるとは思われない。
寧ろ、憲法82条1項の趣旨に照らせば、弁護人が、いま正に法廷で行われようとする不当な措置(腰縄手錠を晒す人権侵害)について、傍聴人に分かりやすく説明し、裁判所の一挙手一投足への監視を実効あらしめることは、憲法適合的である。
裏を返せば、上記名古屋地裁所長あるいは蛯原裁判官の措置は憲法の趣旨に反しており、憲法82条1項に反して自身らへの監視の目を遠ざけようという反憲法的振る舞いであると言うべきである(担当弁護人には、是非、国賠を検討頂きたい)。

もう一つ。
職員2名を動員するなら、彼/彼女らに遮蔽板を運ばせ、傍聴人に晒されないところで開錠措置をとることは容易だっただろう。
腰縄手錠姿を晒すことに人権侵害性があること自体は異論がないのであり、そうであれば、それを極力低減させるのが憲法の要請であるはずである(公判のために腰縄手錠で連行することが必要であるとしても、それに伴う人権制約は最少限度でなけばならないのだから、腰縄手錠姿を晒すことを回避する方法があるなら、そのような措置を怠ることは比例原則違反である)。それが容易に出来るのに、真逆にも、腰縄手錠を晒す方向に職員を動員するとはどういう了見だろうか。後ろ向きの努力は惜しまない、残念な輩である。

ついでに、このような違憲違法な職務命令に唯々諾々と従う職員も、同罪である。
宮仕えの身では我が身可愛さが優先するのだろうが、「そういう憲法違反は致しかねるので、所長、裁判官が御自分でどうぞ」「煽動裁判官には従いかねます」というくらいの気概が欲しい。
自ら手を汚しながら上命下服を免罪符にするのは、彼/彼女らもまた等しく憲法尊重擁護義務を負うことに照らせば通用すまい。

以上のような経過は、この分野を研究していれば当然予測のうちであり、弁護人も百も承知で、しかし、やむにやまれず、行ったのであろう。
敢然と使命を果たした弁護人には、賛辞を惜しまない。

(弁護士 金岡)