今年、法廷で「無罪」の言渡しを聞いたのは3度目である(無罪件数が3件か、それ以上かは、数え方次第である)。
名古屋高判2025年11月26日(山田耕司裁判長)。
模擬裁判の教材に出来そうな単純な証拠構造で、それでいて、それなりに工夫を凝らした弾劾立証が功を奏しての逆転無罪判決であり、今後の実務の参考になるだろうと、詳細な要点解説を予定していたのだが、なんと本日、検察に上告された。
そこで残念だが要点解説は他日を期すとして、今回は事案の紹介に留めることになる。
事案は、深夜(日付の変わる少し前)、名古屋市内の歩道上(深夜営業の飲食店もある一方で、早々に閉店する宝飾品店もあり、またオフィスビルもあるなど、一定の明るさはあるが繁華街であると言うほどではない、そういう地域)における傷害事件である。
依頼者が徒歩で歩道を歩いている最中、後ろから走ってきた自転車が依頼者の左側を通り抜けようとし、折から依頼者が左側、つまり自転車側に寄ったため、自転車が止まり、そのあたりで事件が起きた。
たまたま近傍の飲食店から出てきた目撃者2名によれば、依頼者が、自転車前輪のスポークの部分を靴底で蹴りつけ、更に自転車に乗っていた女性Cの体を手で突き押して、自転車ごと転倒させたという。
第1審判決は、目撃者2名の尋問時に示された、事件直後の実況見分写真(原審「甲12」)を参照して、一定の明るさがあり十分な視認状況が確保されていたとした上、目撃者2名の証言に不自然不合理はなく、虚偽供述動機もないとして、上記説明の信用性を認めて、それに沿った有罪判決をした(女性C自身は、強い衝撃を受けたが、何をされたか自体は目撃できていない趣旨を証言した)。
そこで依頼者が控訴し、私が弁護人に加わったという経過である。
控訴審判決は、「目撃者証言の信用性評価に誤りがある上、暴行の故意の推認を妨げる反対事実が存在する合理的疑いがあるのに、この点についての検討が不十分なまま暴行の故意を推認したものであるから、論理則、経験則等に照らして不合理」として、主に目撃者証言の信用性評価の誤りを論じて、原判決を破棄し、無罪とした。
その要点は、
1.「甲12」の写真と、これと同時期に捜査機関が撮影した他の写真(原審「甲7」)とを比べると「一見して明るさに差があり」、オートモードで「きれいに写るよう自動的に設定された条件で撮影された」甲12や甲7のとおりの明るさであったかは疑問が残る、
2.目撃証言は何れも、目撃内容とそれへの評価が混在してしまっており、現場の明るさが判然としないことも踏まえると、意図的な暴行であると判断できるほど具体的に見えたかは疑問が残るから、依頼者が自転車側に向き、その足が自転車前輪にあたると同時に、その手が女性の体に当たった限度で信用できるに止まる、
3.足を5~60センチ、あげて、スポークが曲がるほどの強さで蹴りつけたという目撃者Bの証言は、それ自体が不自然である上、目撃者Aらの証言とも整合しないから、目撃状況に誇張が生じている可能性が否定できない、
というものである。
目撃者2名が、偶然に居合わせたという意味では中立の証人であることは否定しない。
しかし、そういう中立の証人だから虚偽供述動機がなく信用できる、というほど、世の中は単純に出来ていない。寧ろ、仮に虚偽供述動機(より適切にいうなら、「誤った供述を行う蓋然性」と言い換えた方が言葉の一人歩きを防げそうである)があるとして、本人が認めない限り、それを明らかにすることは性質上、困難であるから、誤った供述を行う蓋然性を否定し去ることは往々にして根拠を欠くものであり、非常に危険であると知るべきである。
この種の、偶然に居合わせたという意味では中立の証人の証言が、様々な理由で信用性を欠くのに、「虚偽供述動機がないから」ということで盲信してしまう裁判所により、冤罪と思しき判決が下される事象は、まま見受けられるところである。
控訴審判決は、前記要旨の通り、当然ではあるが各目撃者の「虚偽供述動機」を発見したわけではない。そんなものがあろうとなかろうと、証明力が足りないものは足りないというだけの判示をしているのである。
上告されたので今回はここまでとし、近い将来(無罪確定後)、弁護活動の要点解説などを行いたいと思う。
(弁護士 金岡)

















