ここ数年だろうか、尿中覚醒剤成分の鑑定に付属させて、鑑定人に「濃度は、濃い・普通・薄い、の三段階で言えば、濃い」と言わせるような電話聴取書が目に付くようになった。
問題意識を持たなければ「ふーん濃いのか」と思ってしまいそうな証拠だが(そして、このような証拠を何の問題意識もなく同意する弁護人と、何の問題意識もなく採用する裁判所が存在するのが厳然たる事実である)、少し考えると、これほど意味の分からないものもない。
尿中覚醒剤成分濃度の裁判における取扱いは、お世辞にも科学的とは言えず、そのことは本欄でも何度か取り上げている。
関心のある向きは以下を参照して欲しい。
https://www.kanaoka-law.com/archives/1090
https://www.kanaoka-law.com/archives/1673
まず、検察官が「尿中覚醒剤成分濃度は濃い」という証拠を用いて、何を立証したいのか、という問題が一つある。
「同居人が炙り使用した覚醒剤の気化した成分を摂取したくらいでは説明不可能なくらい」濃い、と言いたいのだろうか。しかし、そういう争われ方がしていない事件でも普通に上記のような書証(といえるのかはさておき)は登場するから、そうではなかろう。
しからば、「覚醒剤を常用しているから」濃い、と言いたい(悪情状立証)のだろうか。しかしそうだとすれば、今回の使用がたまたま大量だったから濃い、或いは体質的に(前掲過去記事でも紹介したが酸性尿だと濃く出てしまう現象が知られている)濃い、という場合を科学的に排除できるのだろうか。
と、このように、なにか宜しくない雰囲気を醸し出す以上の意味がなく、従って裁判所の事実認定を誤らせるだけの、法律的関連性のない証拠だというのが、分かりやすい結論であるが、そもそも論として「濃い」とはどういう意味なのか、ということにも、注意を向けるべきだろう。
「濃い」というのは言うまでもなく相対的な概念である。何か(の場合にあるべき濃度)と比較するから、濃いとか薄いとか言える(カルピスが「薄い」というのは、美味しく作る場合の想定濃度より濃度が低いから「薄い」のであり、比較対象が例えば減塩味噌汁なら、それでも「濃い」かもしれない)。しかし前掲書証のような代物には、何と比べて「濃い」と言うのかが書かれていないから、その「濃い」という評価は、相対評価にもかかわらず比較対象が不明という、まさしく無意味で、法律的関連性以前に自然的関連性も見出せない。
こんなものを請求する検察官も、同意する弁護人も、採用する裁判所も、総じてどうかしている、と思う。
(2/2・完に続く)
(弁護士 金岡)

















