某支部で勾留準抗告が認容された。事案に見るべき特徴があるわけではないが、申し立ててから僅か2時間での認容は裁判所の気概を垣間見た思いがする。金曜も夕方にさしかかる中の申立であったが、まさか土曜に持ち越そうなどとは夢にも思われなかったのだろう。

それに引き替え。
昼下がりの午後2時に保釈却下に対する抗告を申し立てた名古屋高裁は、夕方、早々と月曜送りを宣告してきた。2件あり(この日は他に勾留延長に対する意見書も2通、起案したので、1日に5件の身体拘束案件を扱っていたことになる。記録的だ。)、それぞれ高裁刑事1部と高裁刑事2部とに係属したが、判で押したように月曜送りである。原審公判記録が含まれる分、審理が重たいことは分かるが、やろうと思えばやれるだろうにと思うと、「またかやれやれ」の思いである。そして、「抗告はどうなったのだろうか」と不安に思いながらの収容生活を土曜日曜と強いることがどれほど人権侵害かと言うことが想像できない方々に、社会通念だの、経験則上明らかだのと、言われたくはない。「あなた方の社会通念はものの見事にねじ曲がって更生困難な状態にありますよ」と、繰り返し教え続けるしかないのだろうか。

話を冒頭の事件に戻す。
事案に見るべき特徴はないと書いたとおり、勾留される事案ではないと、早朝から検察宛て意見書、請求されると原審宛て意見書、発付されると準抗告と、数時間おきに書面を提出し続けた。地元の応援弁護士の機敏な対応なくしては到底、成就しなかっただろう。何度も言うが、捜査弁護は初動に尽きるのだ。
そして、おまけに。逮捕直後の初回接見時に、間違いなく国賠ものの接見妨害を受け、私はついに接見し損なったのである。接見妨害から釈放まで36時間。遂に自分自身では接見することができずに釈放まで進んでしまったのは初めての体験だったかもしれない。

(弁護士 金岡)