本欄本年6月11日で報告した、名古屋高判の在特義務付け判決について、国側の上告はなかった。来月にも、その命じるところが履行されるだろう。

本欄2017年5月3日等で説明しているように、流行廃りはあるも、国側は在特義務付け訴訟について不適法だとして争うところ、今回の「裁決撤回義務付け+在特義務付け」について上告理由(上告受理申立理由)を見出せなかった、ということの意味はそれなりに大きい。
少なくとも「本邦における在留に係る利益の要保護性の程度につき在留特別許可の許否の判断を見直すべき特に顕著な事情の変化がある」場合には、裁判所が「裁決撤回義務付け+在特義務付け」命令を出せる、ということが、理論的に確定したと言って差し支えないからである(この理論を否定したいなら、国側は最高裁に行けたし、そうするしかなかった)。
マクリーン事件最高裁判決からこの方、裁判所も含め、「外国人受け入れ自由」なる慣習法があるとして、これが下手をすると憲法より上の存在に扱われ、勢い、法務大臣裁量は極めて広範であると処理されてきたが、一旦適法に確定した退令の前提となる異議棄却裁決を維持することが、前記事情変更の下では違法になるということは、裁判史上ではやはり画期的と評すべきであろう(常識的に考えれば、前記事情変更の下でなお、退令の判断を維持することが不合理に過ぎることは自明だろうが、その不合理な議論を延々と国側が続けてきたのが実相である)。

そこで問題は、「本邦における在留に係る利益の要保護性の程度につき在留特別許可の許否の判断を見直すべき特に顕著な事情の変化」の中身に移ろう。

例えば、本欄2017年4月21日で、「小5の年齢なら、まだ帰国してもやり直しがきく」等として在留特別許可が認められなかった取消訴訟を紹介したが(但しこれは、その後の義務付け訴訟中で、裁判所の勧告により当人に在留特別許可が付与された)、既に「まだやり直しがきく」程度でしかない不利益状態があっても、その後に更に不利益状態が増すことは「特に顕著」というのだろうか。余りに「特に顕著」を一人歩きさせると、「単なる顕著な不利益」程度は甘受させるべきだと言うことになりかねないが、「単なる顕著な不利益」を甘受させてよい理由は考えがたく、筆が滑ったとでも理解したい。「特に顕著」あたりは今後、(実質的な)修正を迫る必要がある。

また、帰責性も問題となろう。本判決は、「裁決後も約12年間違法に本邦に在留したことにより、前記のような本邦への定着性が生じたとも評価し得る」として、12年に及ぶ取消訴訟と再審手続と義務付け訴訟が事情変更を作出することに一役買ったことに悩みを見せたが、このような悩みは当を得ないものである。なぜならば、判例上、在留特別許可を求める外国人がこれを果たせないままに国外に出てしまうと、訴えの利益が失われるとされているのであり、裁判を受ける権利を適法に行使するには、国外に出ないで裁判を続けるしかない。これを「違法に本邦に在留した」と評価するのは筋違いである。そして、非申請類型の義務付け訴訟では、補充性の観点から、「先ずは取消訴訟をやれ」ということになっている。現在の救済を求めるためには、(無駄を承知で)異議棄却裁決時点の取消訴訟をやることが条件であり、いわば2回の裁判を行うだけの時間~数年程度の経過は織り込み済みである。
「違法に本邦に在留した」等と、恰も居座ったが如く誤解されているが、途切れることなく適法に裁判等の手続を履践している限り、このような評価は当たらない。このような「居座り」に躊躇を見出し、消極方向の責任非難を浴びせることは、憲法に基づく裁判を受ける権利と矛盾する。

本件が、上記規範を用いても救済できる極端な事案であり、かつ、裁判所が適法に確定した退令を軽々に覆さない姿勢を示す上でそれなりに強い規範を採用することも可能な事案であったとして、余り考え無しに強い規範を立てることは控えるべきだというのが、偽らざるところである。

(弁護士 金岡)