久しく時間が空いたが、「刑事弁護倫理的な諸問題」の三つ目として、執行猶予期間の満了を狙う弁護活動について取り上げたい。
法制審議会の少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会第1分科会で「猶予期間経過後の執行猶予の取消し」として法改正が議論されている点(この点は追って掲載予定の2/2で言及する)に絡むものであるが、現行法上、刑法26条1号を確定説と解するのが判例であり、故に、「判決確定を執行猶予期間満了後に遅らせることを狙う弁護活動」が、ここでの検討対象である。

理由無き上訴即ち「濫上訴」(但し「濫上訴」なるものが存在し得るのかは検討を要するので2/2で検討する)や、理由無く私選弁護人の選任解任を繰り返す如き訴訟遅延工作があるとしても、それは、被告人本人が行うことであり、ここでの検討対象ではない。議論としては、それが例え依頼者の要請であれ、判決確定を執行猶予期間満了後に遅らせることを狙う弁護活動であると意識して弁護人その人が行う行為を対象とする。

まず、そもそも根本的な問題として、「判決確定を執行猶予期間満了後に遅らせることを狙う」こと自体が不当と言えるのか。

本稿を掲載する上で、大阪弁護士会のメーリングリストQ&Aから「新時代の弁護士倫理」まで十数冊、軽く下調べをしたが、明示的に論じた文献は見出せなかった(勿論、下調べが不足していると言うことは大いにありそうであるし、コラム的に言及されているようなのもあるだろうから、全くないとは思わない)。もし、表立って肯定的に評価することが躊躇われる風があるなら、本欄で取り上げる甲斐があるというものだ。

さて、唯一見つけた、前掲Q&Aで紹介されていた高橋金次郎もと裁判官の2002年の講演録には、次のように書かれていた。
「前の執行猶予期間の満了まで何とかもたそうというのは、これは何も弁護士としてちっとも悪いことではありません」「うそをついてはいけませんけれども、ある程度裁判所をごまかしてでも先へ延ばすというのは弁護士の一つの義務だろうと思います。」「一回ぐらい公判期日を変更してもらうとか・・・多少細工してでも努力するのは弁護士倫理に反することでもないと思いますし、やるべきだと思います」

実のところ、「判決確定を執行猶予期間満了後に遅らせることを狙う弁護活動」は、時に相談される類であり、第一にその是非、第二にその方法論に、関心が寄せられる。どちらかというより圧倒的に「やって大丈夫か」「どこまでやってよいのか」的な相談が多い。
その是非について、もと裁判官が(それも講演時、退官から3年に満たないとのことである)いともあっさりと、弁護人の義務の範疇に属すると断じているのは、少々どころか意外であった。

意外ではあったが、結論的に、私も同様に考えている。
少なくとも被告人その人が行えば濫上訴だ訴訟遅延だと批判を受けうるだろうことから、これに弁護人が加担する如きも同様の誹りを免れない感があるため倫理的問題として議論する必要はあろうが(但し前記の通り、明確に反対の論陣を張る文献を探し出せていないので、なんとも独り相撲の感はある)、幾つか、その根拠を考えてみると、次のようなところだろう。
(1)確定を執行猶予期間満了後に遅らせられるかどうかで、依頼者の収容の有無や長短が左右される以上、両極の立場から議論を闘わせるのが刑事訴訟の宿命であり、そうであれば、収容を阻止し或いは短くする方向で弁護活動することは弁護人の宿命である。
(2)刑事施設収容や、それが前刑分込みで長期化することが有益だという保証はない。有益だという保障がないなら、害があるという立場に立つことは当然、許される。
(3)依頼者が、そうして欲しいと求めるのであれば、法令違反に等しい高度の倫理違反でもない限り、弁護人としては応じざるを得ない。
(4)前刑の執行猶予は、求刑通りとなることが相場なので、本来あるべき実刑よりはどうしても長めになる(原田「量刑判断の実際」56頁等)。本来あるべき実刑よりも相対的に長めに服役させることは、明らかに弊害と言うべきであるから、その弊害を阻止することは当然の義務である。

上記のうち(3)はともかく、(1)(2)(4)は、刑事弁護人的には感覚的に頷けるところなのではないかと思われる。
「執行猶予期間中に再犯を犯したという事実が決定的」(前刑法制審の橋爪幹事意見)なのだから、その決定的な再犯を犯した被告人が、相対的に長めになる服役に異を唱えること自体、正当ではない、という意見も聞こえてきそうだが、あるべき実刑よりも余計に服役させることまで正当化できるかは疑問であるし、そもそも前刑分を加算した長期服役が本当に被告人に有益であるなどという保障もない(刑事弁護人は、そこまで矯正教育に夢見がちでは務まらないと思う)、百歩譲っても、全員が同じ意見では被告人の立場はないので、せめて弁護人は、橋爪幹事意見のような立場に抗してなんぼ、というわけである。

ところで、民事弁護の分野では、「弁護士が考えるべきは依頼者の“正当な利益”」であると指摘され、それは即ち「社会的に認められる利益」であって、訴訟の引き延ばし(例えば不法占拠に基づく立ち退き訴訟において、2~3年、居座りたいという依頼者の希望に応えることは、「正当な利益」とは認められない(日本法律家協会編「法曹倫理」129頁)などと論じられているようである。
しかし、刑事弁護の分野では、弁護人の希求すべきが「社会的に認められる利益」でなければならないという議論は通用しないだろう。少なくとも、「社会」に、公益や、被害者の利益や、なんやかんやが混ざり込むとすれば、無思慮でもいけないが、明確な優先順位は付けざるを得ない。或いは見方を変えれば、前記(4)のようにそもそも不当な量刑に帰結することを阻止するのは当然の義務であるし、(1)(2)のように、敢えて反対の立場に立つことも、弁護人の役割なのだから、憲法及び刑事訴訟法が弁護人に期待している役割に忠実に振る舞うことこそが、弁護人が考えるべき、被告人の“正当な利益”なのだということもできよう(職務基本規程第82条1項第2文参照)。

以上によれば、「判決確定を執行猶予期間満了後に遅らせることを狙う」こと自体は不当とは言えないどころか、正当である、と結論することになる。

そこで次の検討課題は、その方法論である。前掲高橋氏のように、「うそをついてはいけませんけれども、ある程度裁判所をごまかして」「多少細工して」あたりに基準を求めるならば(それも一つの検討課題である)、なにをどこまでやることが義務で、どこからが倫理違反なのか、そこを考えてみたい。

(続く)

(弁護士 金岡)