現在、検察官から整理手続が請求されるという、極く珍しい経験をしている。
その中で飛び交っている、関連する検察官意見に、次のような記述があり、呆れた。

「F弁護人は・・比較的多数の供述調書の証拠開示請求を行っているところ、その趣旨は、一般に・・当該供述人の証人尋問を求めて当該供述の信用性を弾劾するというところにあると考えられる。そのため、このような証拠開示を行っていること自体、客観的な事実関係を争わないとの(註:F弁護人の)主張と必ずしも整合せず・・」

公訴事実に対し、客観的な事実関係を争わないと認否することと、検察官請求証拠の証明力を検討するために「5号ロ」的な供述調書の証拠開示請求を行うこととは、矛盾する行動なのだろうか。答えは、断じて否である。

この案件では、F弁護人が槍玉に挙げられる前に、どうせ検察官から証拠開示請求について「いちゃもん」が付けられるだろうとこれあるを期して、私の方から以下の通り述べる意見書を提出してあった。以下、引用する。

「いうまでもないが、弁護人は、既に判明している争点の所在とは別に、検察官請求証拠を精査し、証拠能力及び証明力を踏まえて適格な証拠意見を述べるべき一般的職責を負う(極論すれば、争点が無くとも、検察官請求証拠が悉く不適当なものであれば、全部同意しないことが職責となる)ことから、一通り基本的網羅的な証拠開示を先行させることは義務的であり、本訴の弁護人は、かかる基本に忠実に弁護活動に従事しているに過ぎない。」

議論としては噛み合っているだろう。検察官は、罪体について客観的な事実関係を争わないなら証拠開示請求は要らないはずだと唱える。これを真に受ける裁判官も相当数、いるように思う。それどころか、争わない事件で証拠開示をしようと思う弁護士は、悲しいかな少数の部類かも知れない。
しかし、このような議論は失当である。警察署での通常逮捕手続書があれば任意同行関係も一通り開示を受ける。悪し様に書かれた検面があれば員面の論調も見ておく。LINEの抜粋があるなら全体を通して読んでおく。そうして初めて、見落としを防ぎ、歪曲を防ぎ、正しい証拠意見が述べられる。いかなる事案であれ(それこそ即決事案であっても)、証拠開示請求しないことは非違行為である。

かつて、弁護人は取り調べの可視化を求めているのか?という主題の検察官の論文に、録音録画媒体を開示請求する弁護人が少数派であることが書かれているのを読んだことがある。全件で証拠開示請求を行っていく姿勢を堅持して初めて、法の理想が実現し得るのである。今回の検察官が、無理解から上記のように述べたのか、それとも争わない事件でもきちんと証拠開示請求する弁護人が少数派であることの足下を見透かし、嘲笑うがごとく述べたのか、それは分からないけれども、このような無理解極まる主張が平然と提出される現状を招いた責任は、やはり弁護士層にあるとは、言わざるを得ないのだろう。

(弁護士 金岡)