先日の報道によれば、大阪高裁が、手続を終結させた口頭弁論が公開されていたことが認められないとして原判決を破棄した事案があるという。ラウンド法廷における弁論準備手続を終結させ、即時、口頭弁論期日に切り替え、開廷ランプを点灯させたものの、そのことを手続調書に記載しなかったために控訴審で公開が認定されなかった、という経過のようである。
調書で公開が認定できないなら、至極当然の結論であり、報道価値すら疑問ではある。

が、考えておきたいのは、「弁論準備手続を終結させ、即時、口頭弁論期日に切り替え、開廷ランプを点灯させ」て公開を足れりとするという形式性の当否である。それまで非公開の弁論準備で進めて、いきなり開廷ランプを点灯させても、当事者以外は先ず、その口頭弁論期日を把握できない。総合案内の開廷表にも掲載されない。開廷ランプを点灯させてから間を置かずに口頭弁論に雪崩れ込めば、寧ろ傍聴を妨害しているようなもので、それで公開したと果たしているのか、実質に於いて極めて疑問である。公開の趣旨の実現を目的とするのではなく、単に儀式としてやっていると言われても仕方が無いだろう。

なお、経験的に、ある裁判長は、「10分後に口頭弁論を行います」としていた。即時、口頭弁論に雪崩れ込むのでは余りに形式的に過ぎるとお考えだったのだろう。また、わざわざ通常法廷に移動する主義の裁判長もお見受けした。同じお考えであろうか。
他方、先日のある裁判長は、直前までウェブ会議参加していた訴訟代理人の接続を切ることすらせず直ちに口頭弁論に雪崩れ込んだ。口頭弁論期日はウェブ参加できないし、あれはどういう手続だったのかと皮肉交じりに質問をすると、「・・・まあ傍聴・・いや事実上の傍聴とすら言えないんですけど・・」と歯切れが悪かった。オンライン公開だとすれば実に先進的な取り組みではあったのだが。

更に余談だが、刑事部の司法修習の当時、開廷2分前の静止画撮影が「裁判の公開」のために重要だと、指導担当裁判官より教えられて、強く反発した記憶がある。中身も音声もない、能面のような静止画を報道させたところで、びた一文、公開の趣旨は実現すまい。そんな馬鹿馬鹿しい儀式には付き合いたくないと、修習生の分際で撮影に入るのを拒否したのは良い思い出である。今でも、あの撮影に加わる意味は全くなく、寧ろ巻き込まれるのは御免なので、一切、撮影に入るのは拒否している。

(弁護士 金岡)