久々に捜査弁護研修を受講した。
日弁連から選ばれた名士が派遣される(発展型研修)ということで、他の弁護士がどのような組み立てで何を話すか、ということに興味があったからである。

講師は、文字通り数十年、刑事弁護権の拡大に苦闘されてきた生き字引のような存在であったと言えよう。
その研修は、やはりというべきか接見指定制度の歴史から始まり、そして弁護人立会権確立に向けた展望まで語るという趣向であった(僅々2時間強の研修でこのような趣向を凝らすと、勢い実践的な技術に避ける分量は減るが、それはそれで是々非々である)。
従って、歴史的、精神論的に含蓄のあるお話しが随所にあり、こういう研修こそ、登録数年までに義務付けておくべきではないかと思わされた。世に氾濫する技術書の類から表面的に技術を学ぶことは出来るが、本当に需要に見合った技術は歴史や精神論に裏打ちされたところから産まれるものであることは、現場の弁護士なら実感を持てるはずである。

出色は、「指定制度打破に30年、可視化に20年。立会は10年でいける筈。」という点であった。かの浅井正弁護士らが「点」で苦闘していた時代から、その志を受け継ぐ弁護士が繋がり「線」となり、今や「層」となっている、従って加速度的に、あるべき制度を勝ち得る筈だという論は、頼もしい楽観論である。
依然としてコロナ禍にあるとは言え、愛知県弁護士会の総会が開ける大会場に、受講者10名足らずであったこと(但しウェブ併用なので、ウェブ空間には数十名いたかもしれない)は勿体なく、残念であった。

(弁護士 金岡)