現在、国会の法務委員会では改正刑訴法案の集中審議が行われている。相当大きな法改正であるが、特定秘密法や安保問題に比べると取り上げられ方はさほど大きくない。刑事弁護を扱う立場からは、国会の議事録を追いかけるに値するものと思う。

そもそもの始まりは、密室での取調べがどうしても冤罪に繋がるという認識から、取り調べを可視化しようというものであったはずであるが、可視化するなら自白が取りにくくなるから引き替えに新しい捜査手法を導入させろと言う抵抗に遭い、その結果、①裁判員対象事案に限った(全体から見ると3%程度の~しかも当該調書作成時の全部可視化が原則必要的と言うだけの抜け道の多い~不十分極まりない)可視化、②盗聴拡大、③司法取引、等が一括りにされるという帰趨をたどった。日弁連でも、可視化を悲願とする立場の弁護士は“今後の全面可視化への流れを止まらないものにする足がかりとして大きな成果”と胸を張るし、盗聴や司法取引導入に賛成するとあっては日弁連の立場と相容れないとする意見(私はこちらに与する)も強く、未だに禍根を残している。

ともかくも、法案は閣議決定され、審議入りした。前記の通り国会議事録を追いかけていると、上記後者の立場から日弁連の姿勢を疑問視したり、法案にきっぱり反対意見を述べたりする議員もおられることが分かった。6月5日第20号で質問に立たれていた山尾議員(検察官出身)が(個人的には意想外だったが)後者の立場をきっぱりと端的に表現されておられたことには率直に賛辞を送りたい。

また、6月10日第22号では、布川再審の桜井氏が、御自身や冤罪被害者の方の声を集め、すばらしい発言をされていた。二箇所、引用したい。

「そもそも、冤罪をつくっているのは警察と検察ですよね。その警察と検察がなぜ、今まで過度に調書、取り調べに依存したところがあってまずいということで法律を改正する審議会の委員になるんですか。不思議でしようがないんですよ。泥棒に鍵を与えるとまでは言いませんけれども、そもそも冤罪をつくった人たちが審議会に来て、新しい法律なんかできるんですか。できっこないじゃないですか。だから、こんな中途半端な法律になったと私は思うんですよね。」

「実は私自身もこういう立場になるまでは、やっていない人がやったと言うと思わなかったんですよ。ただ、警察というのは、職業的冤罪製作者といいますか、常に悪い人と出会って、常に人を疑うというか人の言葉を信じないんですよ。私もアリバイを主張したんですけれども、調べたらおまえは来ていないと言っていると言われまして、うそを言われまして、自分の記憶がわからなくなってしまって、うそ発見器にかけられて、おまえが犯人と出たと言われた瞬間に、やっていないと言い続ける心が折れちゃったんですね。とにかく朝から晩まで、おまえだ、おまえだ、おまえだと言われる。けんか状態といいますかね。夫婦げんかしたってつらいですよね、目の前でやっていたら、それは逃げられますけれども。取り調べ室というのは、何か、信頼関係だとさっきおっしゃった先生がいらっしゃいましたけれども、調べられない人はお気楽だなと思いますね。留置所に入って、真っ裸にされるんですよ。する立場とされる立場の絶対的立場、心が通うわけないじゃないですか。神話ですよ、こんなの。そこに生まれるのは、奴隷の心か、奴隷にならないかの違いであって、毎日毎日やられてしまうと、その痛みに、目の前の痛みに負けて、やったと言ってしまうんですね。」

一つ目は、法制審特別部会の構成員の半数近くが捜査関係者で占められていたことへの批判である。冤罪を生み出した側が、冤罪防止の法改正に加わることの馬鹿馬鹿しさ、実際、極めて不十分な可視化と引き替えに、盗聴、司法取引などの凱歌を得ていることへの批判であろう。可視化の潮流時代は止まるはずもなく、かくも中途半端な立法を飲んだ日弁連への批判でもある。二つ目は、虚偽自白当事者の生々しい声である。可視化されると信頼関係が築けないという捜査関係者の綺麗事など、見事に論破されていると言えよう。議事録を読んでいても苛々することの方が多いが、久々に胸のすく思いであった。

(弁護士 金岡)