身体拘束されている被告人に、いかにして証拠物と直接触れられるように持っていくか、という問題である。以下の事例は、事例1が2年前、事例2は今年のものである。

【事例1】
この事案は、やはり数年がかりで有罪が争われた事件であり(現在も係属中)、第三者の犯行可能性を巡り、被害者の着衣付着物に着目した審理が行われた。
被害者の着衣付着物は、捜査機関が粘着シートで採取し、保管するから、粘着シートをじっくり見たいというのが被告人の要望であったが、粘着シートは捜査機関が保管し、もちろん証拠物の性質上、借り出すことは出来ないから差し入れは不可能である。

そこで法曹三者で協議をした結果、検察官が公判審理時に持参し、公判廷で被告人に閲覧させるという取り計らいがされた。保管責任者である検察官が、その判断において差し支えのない(保管庁以外の)場所で閲覧に供することは、その裁量の範囲内であろう。閲覧するのが被告人であっても、何ら差し支えはない。
問題は、公判廷を借りると言うことであり、閉廷すると刑事施設職員は被告人を連れて帰る仕事であるから、被告人の閲覧が出来ない。かといって、開廷中に証拠物の閲覧を行うのはおかしいし、傍聴人の目もある。
そこで、裁判長の粋な取り計らい(かつて論文誌上で実名批判をした方なので、ここでも実名で賛辞を送りたいが、このような計らいについてとやかく言われるような事態も宜しくないので、ここは敢えて伏せておこう)により、裁判長が閉廷後も法廷に残り、擬似的な開廷状態を維持し、傍聴人はいなくなり、拘置所職員も隅っこで見守るだけの中、被告人は心ゆくまで証拠物を確認できたのである。被告人に指示されるまま写真撮影で証拠化をするというのも、大変良い経験である。

【事例2】
この事案も、既に数年がかりで有罪が争われている。目で見て分かる証拠物の他に、千点を超える写真データ、更に数百GBに及ぶコンピューターのシステムデータが証拠物に含まれる案件である。

被告人は、写真データのあちこちを拡大して点検したいと希望した。また、コンピューターのシステムデータも、自身のパソコンのことだから自分で触るのが早い、と説明した。いずれも尤もな話である。
そこで、弁護人として紳士的に、刑事施設(名古屋拘置所ではない)にデータと再生機器を被告人が施設内で利用できるよう、協議を申し入れたところ、「印刷して差し入れろ」と、こうである。コンピューターデータなど印刷は出来ないのだから、なんとかも休み休み言え、と、いうしかない。

しかしともかく、協議は決裂し、話が進まなくなった。
そこで、事例1を念頭に、検察官と協議した。この事案は整理手続段階なので、疑似開廷を利用するのも困難であったが、幸い、検察官が快く理解を示し、「検察庁で仕切りのない「接見室」を用意し、弁護人と被告人が「接見」し、その際、証拠物を持ち込んで被告人が閲覧する(但し、拘置所職員、検察事務官が立ち会う)」という、これまた、興味深い方法でことを実現する運びとなった。

実はつい先日、その件で検察庁での接見をしてきたのであるが、例えば押収された機器を被告人が「閲覧」し、電源を入れて蓋を開け、内部を点検するようなことが出来たし、更に、私の持参したパソコンに複製した写真データを入れて立ち上げ、被告人が自らパソコンを操作してデータを拡大表示し、編集ソフトで問題意識を書き込む、といったことまで実現したのである。パソコンに向かいせっせと画像を加工する作業にいそしむ被告人を横で眺めるというのは、情緒的な言い方をすれば、なかなか感動的な体験であった。

【まとめ】
事例1も事例2も、手続の隙間を遣り繰りしているようなもので、本来的な在り方ではないと思われるが、現状、致し方ない工夫でもあろう。理解のある裁判官、検察官は、被告人の証拠物閲覧が必要であることは否定しないし、可能な範囲で実現に協力してくれる。このこと自体はよしとすべきである。

他方、本来的でないということは、まだ権利性の次元には至っていないと言うことである。粋な計らいがなければ証拠物閲覧が実現しない、というのは頂けない。更に推し進めていく必要があり、最終的には制度化に至らなければならない。

まず、証拠物保管庁まで被告人が赴ける権利が必要である。さほど難しい話ではない。刑事施設に事前に申し出て、日程調整すれば良いだけのことである。なにせ捜査機関は、実況見分だ引き当てだと、任意捜査のために被疑者を連れ出せる。そうであれば、自身の防御のために連れ出して貰うことは、刑事裁判の主体として当然の権利だろう。
次に、電磁的記録の再生利用の権利である。これも難しい話ではない。弁護人は検察庁から複製したものをそのまま差し入れる(従って内容的検閲など不要(違法)である)。被告人は、刑事施設の所定の部屋にある再生装置を利用し、それを再生する。それだけのことである。僅かな予算措置と人員配置でことたりる問題である。
障害は何れも、刑事施設である。極めて閉鎖的、過剰に収容方向、なんでもかんでもダメ、という組織であるが(だから私のような存在とは日々衝突し、国賠で連敗を喫するわけである)、被収容者処遇法31条が「未決拘禁者の処遇に当たっては、未決の者としての地位を考慮し、その逃走及び罪証の隠滅の防止並びにその防御権の尊重に特に留意しなければならない。」としているのだから、「特に留意」すべき防御権に導かれた権利性を邪魔立てすることは、法の許容しないところであろう。

なお、ゆくゆくは、被告人が現場に行く権利も、必要であろう。本欄昨年12月10日「身柄拘束について」で、「現場を歩いて記憶を取り戻したいと願う依頼者に対しグーグルマップを見せるくらいしか手がない」と指摘したが、それは不当な事態である。検察庁に連れて行くのとは訳が違うから、逃走防止等で困難な課題はあろうが。

弁護人は、物わかりが良くてはダメである。おかしいと思ったら、腕力と理論を以て突破しなければならない。その積み重ねが制度改革に繋がろう。「現状、無理だよね」、では済まされないと言うことを身を以て味わえるのも、刑事弁護の醍醐味である。

(弁護士 金岡)