非常に残念な事態である。琉球新報が、本年11月17日付け社説において、元米軍属の刑事被告人の黙秘権行使を批判したことが話題になっている。

社説は、「その後の被告人質問で、被告は黙秘権を行使した。少なくとも被害女性、遺族に謝罪すべきである。事件から1年半余たっても、被告は反省していないと断じるしかない。」として、黙秘権行使を反省の欠如と結びつけた。
更にまた、「殺意があると判断されなければ、人を殺しても殺人罪には問われない。強姦致死罪ならば、無期懲役などではなく、有期刑に処される。そのようなことを考えて殺意を否認し、黙秘したならば、言語道断である。・・・なすべきは保身を図ることではなく、事実を明らかにし、謝罪することである。」として、あたかも、有罪であるなら黙秘権行使は許されないかに論じている。

これは非常に残念な事態である。
沖縄弁護士会が同月22日付け声明で「刑事被告人の黙秘権及び公平な裁判を受ける権利を軽視」と批判したのも当然である。
黙秘権は刑事訴訟の土台である。自白強要を制度的に防止する効果的な装置であり、個別の事件で時に座りの悪い結論が生じるとしても、その制度的保障の必要性は全く揺るがない。琉球新報は、個別の事件に目を奪われ、刑事訴訟全体を俯瞰する大局的な視点を失っている。元米軍属の犯罪に対し沸き起こる感情というのは部外者の私には理解できないだろうが、感情任せに憲法に基づく制度的保障を破壊してしまうところまで考えての社説なのだろうか。

本欄を敢えて「二枚舌」としたのは、琉球新報は、今最も、憲法に忠実であるべきではないかと思うからだ。琉球新報が安倍政権に対し憲法を守るよう注文をつけている社説は一つや二つではない。安保関連法の廃止を求めては憲法の精神に忠実にあれと唱える社説が、他方で、憲法の制度的保障を利用した刑事被告人に対し感情任せに批判し、つまり憲法の思想を踏みにじる。
これではよくない。
黙秘権を丸ごと否定するならまた別だろうが(護憲と、部分的に憲法改正を唱えることとは、必ずしも矛盾しない)、そうではないとすると、都合良く憲法を振りかざしたり憲法を無視したりする姿勢は、全体としての説得力を低下させる。
今最も憲法が必要なはずの沖縄で、このような社説が飛び出したことは、故に残念である。速やかに再検討し、憲法の精神に忠実な社説を出し直してほしい。

(弁護士 金岡)