先般、本欄で、裁判員選任手続の在り方について具体的事例を踏まえて問題意識を述べる投稿記事を掲載した。

すると僅か3日後、名古屋地裁所長の名代から、記事削除の申し入れがあった。
曰く、「特定性には十分に配慮されているとは思うが、それでも」当該候補者が御自身のことと分かり心情を害するかもしれない、そのことは、裁判員参加法33条1項、同3項に照らし相当でない、というものである(文書を出すよう要求したが拒否された。なぜ、責任名義を顕名出来ないのか。役所の体質は不可解に過ぎる。)。

事案の特定性には留意したので3項に基づく御指摘は当たらないとは思う(1項については論外である。非公開手続だからといって、批判的検証に晒すことが認められないはずはない。)が、万が一を考えて「裁判員候補者の心情」への「十分」な「配慮」が欠けているとすると、その方への申し訳は立たないので、さしあたり削除に応じることとした。

ただ、一般論の領域において、差別的理由で裁判員候補者から外されていく現実があるのではないか?という問題については、引き続き、関心を持って頂きたいと思う。

なお、所長に対しては、33条3項該当性について「あてはめ」を明らかにするよう、要望書を提出した。差別的理由により裁判員候補者から外されていく現実があるとすれば、果たしてそれを隠ぺいすることが法の求める心情配慮なのか、違和感があるからである。伊藤納所長であれば、きっと正面から答えて下さると期待して。

(弁護士 金岡)