毎日新聞朝刊に掲載された標記記事に登場したので紹介しておく。
https://mainichi.jp/articles/20190523/k00/00m/040/317000c

裁判官、検察官が強調するのは、やはり、「分かりやすさ」「コンパクト」。「分かりやすさ」や「コンパクト」が重要でないとは言わないが、被告人の「ひ」の字も出ない彼らの発言からは、一体誰のための制度なのだろう?という疑問が益々、湧く。
被告人の防御権保障、手続保障にとり裁判員の存在が足枷になりかねないことを複数回述べている私とは対照的というか、その噛み合わなさぶり、もはや異次元の感がある。

私の立ち位置は、近時の本欄で何度か書いているので重ねて書きはしないが、本記事に準えて言うなら、これまでの裁判が「分かりにくい」ものであって工夫の余地があったとするなら、それは被告人にとって分かりにくい代物だったと言うことでもあるのだから、なぜ裁判所や検察官は、判決を受ける当の本人のために分かりやすい裁判をやろうと思わなかったのだろうか。裁判員が来るから分かりやすくしましょう?やはり、誰のための制度なのだろうと思わされる。司法に対する国民の信頼理解の向上に資することを表向きの主要目的とする裁判員参加法の趣旨に忠実に考えるなら、分かりやすさ至上主義も宜なるかなだが、そんなことのために被告人の防御権保障が切り下げられるなら憲法に反する。被告人の防御権保障を寧ろ向上させているというなら、胸を張っていの一番にそれを言うべきだが、どなたからもそのことは一切、出ないのだ。

幸い、裁判員裁判に対し肯定的な意見を強いられる立場ではないので、日々、最前線に立つことを心がける実務家として率直な意見を表明した(その意味で毎日新聞の人選、記事の組み方には感謝である)が、残る法曹二者の御意見を見るに、「分かりやすさ」ばかりで被告人の「ひ」の字もないことが、案の定ではあるが、大いに不満だ。

(弁護士 金岡)