本年7月30日発売予定とのことで、諸々のウェブサイトでも既に予約可能である。

標記書籍は、理論と実務の架橋を維持し発展させるべく、同一の主題について実務家と研究者の論稿を掲載した上、更に理論刑法学活性化のための論稿、刑法学界の重鎮の論稿を掲載するという意欲的で重厚なものとして創刊された。佐伯仁志教授ら4名の編集委員は、何れも刑法学界の重鎮である。通巻1巻では、特に「正当防衛論の現在」が取り上げられている。

私は、「正当防衛論の現在」について、弁護実務家の立場から一稿を掲載させて頂いた。これまで正当防衛論について理論的研究を行ってきたわけではなく、幾つかの事案で文字通り悪戦苦闘してきた程度のことではあるが(大体の場合、理論面では研究者の助太刀を仰ぐことになる)、折角の機会であり、最二小2017(平成29)年4月26日決定の捉え方を含む関心ある論点について問題意識を展開させて頂いた。
「正当防衛論の現在」については、他には、清野憲一検察官、遠藤邦彦裁判官、坂下陽輔、橋爪隆の四氏の論文が掲載されている。皆一様に、上記決定を一つの軸として判例理論の整理を試みており、清野論文は更に、裁判員裁判の評議を意識して大胆な理論の改訂を提言しているように見受けられた。

若干、内容面に言及しておくと、侵害回避義務論の立場から上記決定を読み解こうとする橋爪論文は、必読であると思われた。なお、同論文で、既にされている指摘ではあるが、上記決定が「刑法36条の趣旨」として説示した内容について、判旨からはせいぜい、侵害の急迫性要件にかからしめられる程度に読むべきことが示唆されていることも、実務家には重要だろう。
坂下論文では、特に「事前の侵害回避可能性の考慮により正当防衛の成立を制限すること」の理論的探究に読み応えがあった。「正の側に不利益を甘受させることを許容する論拠を示す方向性」が示されるべきだとした上で、【そのものを渡さなければ痛めつけてやるという強盗の事例】を素材に、言いなりになることで侵害を回避できるのに、言いなりにならず「痛めつけ」を誘発しておきながら、致命傷を負わせる対抗行為に出ることの是非についての議論には、大いに刺激されるところがある。ただでさえ正当防衛の成立幅が狭いとされる我が国に於いて、上記決定は更にこれを狭くしかねないと危機感を覚えており、やはり狭められかねない側の弁護実務家には特に必読であろう。
清野論文は、かなり重厚であるため、本欄でどこかしらを紹介することも困難であるが、結論から言うと、「相当違和感がある」。その違和感を整理するには、清野論文、遠藤論文を繰り返し検討する必要がありそうだ。

以上のように、前記決定を中心に事前の侵害回避に関する議論が華々しく行われているところではあるが、私の論文は、勿論前記決定を批判的に捉える検討も行っているが、前記決定を離れ、他の要件論との関係で、かねてから疎ましく思っていた「武器対等原則」という誤解の流布について今こそ糺されるべきことなどにも言及し、とにかく、結果的に勝ち残った側の被疑者被告人の「正」の利益を、勝ち残ってしまったという結果論から濫りに排撃しない弁えのある論理構築についても述べてみたところである。

関心のある向きは、是非、入手して頂きたい。

(弁護士 金岡)