名古屋地裁(裁判員裁判)の本年7月13日付け一部無罪判決の判決宣告後に、耳を疑うような裁判長発言があったと報じられている。
一言一句、そのとおりということはあるまいが、判決の要約とは異なるから八割方、正しいだろうとすると、どこから手を付けて良いか戸惑うほど異常な発言であり、過去にもそうそう例はないだろう。

とりあえず、報じられた全文を引用してみる(当面、確定記録閲覧に至らないだろうから、報道前提で論評することを重ねてお断りする)。

【山田耕司裁判長は判決を言い渡した後、説諭で検察側の立証について痛烈に批判した。判決で検察を批判するのは異例のことだ。
「裁判員のやり切れなさが残るので、両被告に伝える」。山田裁判長はこう切り出して、説諭を始めた。「犬飼さんの死についてあなた方に責任があると考えるのが素朴な市民感覚で、傷害致死について無罪となったことに割り切れない思いがあるのが正直なところだ」と述べた。
検察に対しては「証拠収集の不十分さや公判での立証の失敗など、検察官の失策が招いた結果だ」と批判。「しっかりと捜査して(審理の)土俵を的確に設定していれば、違う結果になっていたことは否定できない。この主張では有罪とする証拠が見つからない」と厳しく指摘した。】

言うべきことは沢山あるが、とりあえず3つほど、指摘してみよう。

1.検察の失敗とやらで立証されなかった事実関係は、つまり証拠がないのだから真実ではないというのが裁判の基本的仕組みである。しかしこの裁判官には、証拠のある真実の他に、証拠はないけど真実の(だと思い込んでいる)領域があるらしい。
それはつまり、「検察の主張は真実だろう」という決めつけだろう(それ以外に手掛かりはないからである)。証明予定や冒頭陳述は真実であり、現に立証に失敗しようとも本当は立証されるはずであって、つまり真実だという確信が揺るがないらしい。恐ろしいまでの有罪病に罹患されている。

2.無罪になった被告人に対し、「検察がちゃんとやれば有罪だ」と放言するのは、名誉毀損以外の何物でもない。「あいつは無罪になったけど真犯人だ」という言説をよりにもよって裁判官が行うとは。
そしてそれが、立証に失敗し、つまり訴訟上、真実でない「有罪」を前提にしているのだから、真実と信じる相当の理由を欠くことも明らかだろう。
名誉毀損罪が成立し、違法性阻却もない。犯罪的と言うより犯罪と断じるしかない(無罪が確定したと仮定して、全国的に真犯人と報道されたことの被害は償いようもなかろう)。

3.検察に、ちゃんとやれと発破をかけている。要するに、ちゃんとやれば有罪がとれるから控訴しろと唆しているわけである。
どこが中立公正の裁判所、なのだろうか。憲法違反の代物である。

以上のように、有罪病、名誉毀損罪、違憲と、これでもかと不適格の烙印が揃う。このような裁判官は、証明予定や冒頭陳述の出来映えだけで有罪の心証を固めるのだろう。今回は余りにも立証が破綻し、心証通りの判決を書くのが技術的に不可能だったのだろうが、この裁判官の日常は、それっぽい証拠を寄せ集めて有罪と書くだけで出来ているのだろう(思い当たる判決が幾つも浮かんでくる)。
上記報道が八割方の再現率を保っているとすれば、こんな裁判官に裁判をさせてはならないだろう。とりあえず謹慎を命じ、進退を問うべき事態だと思う。

(弁護士 金岡)