本欄は公開されている。本欄の記述をどこぞで引用されても、公開している以上は、基本的に文句を付ける筋合いではない(但し、引用目的が著しく不当であったり、趣旨を歪めて引用する、逆に出所を明示せず引用するといったことがあれば、やはり文句を付けるだろうと思う)。
誰彼となく見られているというのは緊張感があるが、言論の自由市場と言うべきか、知識の共有や経験の共有に資したり、また、正当に引用されたり批判されたりして相互に高めあっていくものがあれば良いと思い、手間暇かけて執筆するわけである(従って、時にツイッターで弄られたりもするようだが、一向に構わないどころか、議論の素材にして頂くのは本旨に適う)。常に責任を糺される覚悟が必要だ。

・・と、このようなことを考えたのは、愛知県相手の接見国賠(現在進行中)で、裁判所から愛知県下の「接見予約制度」について釈明を求められた被告(愛知県)が、その応釈明にあたり、本欄の一つをまるごと印刷して証拠請求してきたのを目の当たりにしたからだ。
弾劾するとか揚げ足を取るというものではないが、「本欄にも記載されているように」という趣旨で部分的に摘まみ食いされたのをみて、なんとなく釈然としないものを感じた。
公開している小論文のようなものであり、接見予約制度を正しく説明できる最適の資料だから、文句を付ける筋合いでは筈なのだが・・・愛弁と県警とで運用、定着している制度を、県警側で正しく説明出来ない、説明しようとしない、それどころか、こちらの説明の一部だけを摘まみ食いするために拝借してくる姿勢は、情けないし、無責任に映るところに、原因がありそうだ。
要は、愛知県という地方公共団体の訴訟行為としてはお粗末に過ぎ、無責任にすら映り、不愉快だったのだろう。不愉快ではあるが、こういうこともあるのだから、私的なコラムであっても責任を糺される覚悟で書く必要があるということだ。

自分の書いたものを相手方に引用される、というのは、これに始まったものではない。
思い起こせば整理手続の草創期、施行前から係属していた重大否認事件について期日間整理手続を請求したところ、検察官が猛反対し、その根拠に愛弁の会報の私の論稿を引用してきたことがある。要は、弁護人の持論からすれば手続がまともに進まなくなる危険がある、というような主張であった。
個々の事件は、弁護人の持論ではなく被疑者被告人の考え、納得も踏まえ、柔軟に処理されていくのであり、このような主張は滑稽であったが(裁判所も相手にしなかった)、そういったことをしてくるんだなぁと妙に感じ入ったことは覚えている。

また、講演内容が別の単位会の会報に掲載されたところ、名古屋高検の検察官から誤字を指摘する電話が入ったこともある。よその会報の誤字まで言われても困るが、なんやかんや、揚げ足を取るために収集部隊があるんだろうか、と感じたものだ。

公開を予定して執筆している分には、前記の通り、引用目的や正確性などを別にすれば引用されるのは構わないが、公開を予定していないものまで引用され出すと大変なことになる。
とあるMLで、事件のための特殊な情報を募ったところ、面白おかしくツイッター上に取り上げられ、それが事件関係者の目に留まり、文句を付けられたことがある。結局、その事件関係者からは、その後の協力に過剰な誓約条項を要求されて折り合いが付かなくなり、非常に弱ったものだ(当該投稿者が、その後、素直に名乗り出て謝罪されたことで、矛先はおさめた)。
メーリングリストに(不文律の)目的外使用規制、守秘義務があることは当然の常識だと思うが、時にこういうことが起き、大体の場合、おおごとになる。
目的外使用規制、守秘義務があるとの信頼の下に、利用したり、されたりするのであり、万が一にも目的外使用が起きてしまうとなれば、誰がそのようなメーリングリストを利用するだろうか。投稿控えが起きれば、そのメーリングリストは荒廃を待つのみである。どんな投稿にせよ、責任ある内容で投稿していることは当然であるが、それでも、公開を予定していないものは公開されてはならない。

あちらこちらで色々と小論を著し、刑事系のメーリングリストがあればよかれと思ってせっせと投稿する立場上、なんやかんやと、書いたものが他所から出てくるという事態に遭遇する(それにしても愛知県警公認とは思わなかったが)。
使われ方さえ間違われなければ切磋琢磨の良い切っ掛けにはなるが、使う方も、執筆者がそれなりの目的をもって、負担や責任を伴う執筆をしていることに配慮し、常識的な節度は堅持する必要がある。

(弁護士 金岡)