近時、高刑2部で判決のあった事案。
被害状況に全面的に争いがあり、被害者調書の不同意を受けて被害者が原審で証言している事案の控訴審を受任したものである。

争点の一つ(に選んだもの)として、被害状況に関する被害者主尋問で誘導尋問が多用されていることの違法性がある。

例えばということで事案を変えて説明すると、
(質問)首をどのように絞められたのですか?
(答え)両手が首元まで進んできて、ただ、左手は襟元を押さえるだけの感じで。
(質問)そうすると右手が首を絞め付けたわけですね?
(答え)そうです
(質問)左手が更に首元に移っても、右手はそうやって絞め続けていたと?
のような流れで、首を絞めたかどうか、絞めたとしたらどのように絞めたかが争われているというのに、いきなり「右手が首を絞めた」「そうやって絞め続けていた」のように、ずんずんと誘導していき、誰も止めない尋問だったのだ。

弁護人が「調書から誘導の通り証言するだろう」と観念していたとしても、蓋を開けてみれば、つまり誘導なしに一から証言させれば全く異なる展開も有り得るのが裁判の世界である。肝心要の部分で誘導に任せては、不同意にした意味すらない。・・というのが、私の問題意識であり、弁護人も弁護人であるし、裁判所も、肝心の被害状況のところで誘導が始まったらすぐ止めろよ、というのがざっくりとした控訴趣意の一つである。

さて裁判所の判断はどうかというと、「裁判所が止めるべきだった」という主張については、次の通り判示された。

(引用)
弁護人が指摘するAの原審証言をみると、確かに、検察官が誘導尋問をし、Aがそれを肯定することによって得られた内容が多く含まれているといわざるを得ない。そして、刑事裁判における当事者は、刑訴規則199条の3第3項で禁止されている誘導尋問は避け、裁判所が争点について的確に心証形成することができるように適正に尋問を行うべきであるし、裁判所も、場合によっては、訴訟指揮権を行使して当事者の尋問を是正することが求められる。
しかし、誘導尋問であっても、刑訴規則において許容されているものがあるほか、個々の場面で弁護人がその弁護方針からあえて異議を出さないこともあり、そのような弁護人の判断は当事者追行主義の下では尊重されるべきである。そして,裁判所からは、当事者の質問が刑訴規則で禁止されている誘導尋問なのかどうか、弁護人が異議を出さないことが弁護方針によるものなのかどうかについて、即座に判別し難い場合があるから、反対当事者が異議を留めるなどしていない場合に裁判所がその訴訟指揮権を行使して当事者の尋問を是正することが求められるのは、その誘導尋問が一見して明らかに刑訴規則違反であるような場合に限られる。
この観点からみると、本件では、原審弁護人が検察官の誘導尋問に対して異議を申し出ていないところ、検察官の誘導尋問が一見して明らかに刑訴規則に違反しているとまではいえないものであるから、本件で原審裁判所が検察官の誘導尋問を是正しなかったことが違法であるということはできない。(引用終わり)

なんとも情けない判示ではある。
以下、検討してみたい。

1.裁判所は、「確かに、検察官が誘導尋問をし、Aがそれを肯定することによって得られた内容が多く含まれているといわざるを得ない」と判示しているから、客観的に見て不適切な誘導尋問が行われたことは確認されたといえる。
そうすると、訴訟手続が適正であったか、それとも法令違反かは、結果的にそれが是正されたかどうかで論じられるべきところ、裁判所は、誘導尋問の放置が不適切かは「即座に判別し難い場合があるから」「一見して明らかに刑訴規則違反であるような場合」でないと訴訟手続の法令違反にはならないというのである。
つまり、訴訟手続の法令違反には、「故意または重過失」が必要だといっているようなものだ。「当時は分からなかったんだから、不適切な誘導尋問により肝心要の証人尋問が不適切に構成されても仕方がないじゃないか」というのは、国賠の抗弁としては成り立つかも知れないが、刑事裁判においては成り立たないと思う。なんとなれば、故意だろうが無過失だろうが、不適切な裁判により防御権を害される被告人の立場は結局、救われないからである。

2.もう一つ、「弁護人がその弁護方針からあえて異議を出さないこともあり」の部分にも問題がある。
判決は、本件が戦略的放置だといいたいわけではなく、戦略的放置かも知れないから「一見して明らかに刑訴規則違反」と断じることが難しかったと述べているようなので、本件が戦略的放置かどうかについて突っ込むのは野暮というものかも知れない。
しかし、もしこのような理由で訴訟手続の法令違反を免れようとするなら、果たして戦略的放置かどうか、きちんと審理するのが筋だろう。しかし勿論、裁判所は、原審弁護人から異議を出さなかった理由を確認して上記判決に及んだわけではない。
もし裁判所が、本気で戦略的放置の可能性を考え、判断に取り込んだのならば、それは、証拠による裁判ではなく想像による裁判に過ぎないだろう(弁論で例えば「被害者証言は誘導の所産であり証明力に乏しい」みたいな指摘があれば、弁護人の戦略的放置の可能性が出てくるが、いかんにして原審弁護人の弁論にそのような主張はなかった)。

3.なお、仮に前記「一見して明らか・・」基準によるとしても、本件は明らかに「一見して明らか」な場合に属する事案である。首を絞めていないと主張する被告人に対し、首を絞めたと誘導する被害者尋問など、およそ有り得ないからである。
もし本件の原審裁判長が「検察官、争点のところなので誘導は慎んで下さい」と一言言えば、それで済んだ話なのだ。もし弁護人が戦略的放置を敢行中だったとしても、内心、舌打ちはするだろうが(余談だが、私は反射的に異議を出す方だが、それでも、検察官が前提を誤って主尋問が迷走しだした時に、転ぶのは検察官の自由だからと、放置したことはあるし、戦略的放置を絶対的に否定するわけではない)、誘導なしにしゃべれるものなら一つ見てやろうという、本来のところに立ち返るだけだから、そのような訴訟指揮に異議を申し立てることはないだろう。

出来の悪い尋問を、弁護人と裁判所が放置する裁判は、お遊戯じみている。そのお遊戯により得られた被害者証言で有罪にされていく被告人は、可哀想としかいいようがない。

(弁護士 金岡)